この人も好きだった「こどものとも」

あの絵本たちの思い出 池澤夏樹 

ふつう、大人は子供の本を読まない。
だから過去のある時期に子供の本と親しいことがあったとすれば、それは身辺に子供がいたということで、ぼくと「こどものとも」シリーズについて言えば、鍵は8歳下の妹ということになる。
たとえば、寺村輝夫作・長新太絵の『おしゃべりな たまごやき』の最初の絵本版は1959年2月に出ている。この時、妹は4歳と3か月、まさにこの絵本の適齢期だ。

Ikezawa_1 実際、この前後にぼくが今でも覚えているものがいくつもある──
鈴木三重吉が訳して村山知義が絵を描いたナンセンスのきわみ、『おなかの かわ』
伊東三郎の訳に堀内誠一の絵の、悲しい結末の『くろうま ブランキー』
乗り物好きな男の子が喜んだ小海永二と柳原良平の『たぐぼーとの いちにち』
馬頭琴の由来を語る『スーホのしろいうま』(大塚勇三と赤羽末吉)、
やがては大傑作、なかがわえりことおおむらゆりこの『ぐりとぐら』のカステラ大騒動。

ikezawa_2 これらの本を自分でもあきれるくらい1ページずつ詳しく思い出せるのはこの数年間に得られた教養のおかげだ。ぼくは小学生だった。教養というのはこういう時にこそ使う言葉である。
うちはずいぶん貧しかったから、「こどものとも」を毎月かならず買ったわけではなかっただろうし、母親は店頭で手に取って見て買うに価するか否か、厳正に判断したかもしれない。それでもぼくの記憶にあるのはたしかにどれも傑作。
57年前に出た『おしゃべりな たまごやき』の絵柄がそのまま今につながって、先日から感心して見ている長新太さんの『キャベツくん』シリーズに重なってくる。その意味で絵は強いが、しかし簡潔な文章も強いのであって、「やぶれたおなかのかわをぬうのに ねこは ひとばんかかりました」という『おなかのかわ』の結末が生き生きとよみがえる。文字どおりではないにしても、たぶん大きく間違ってはいないだろう。
母親は貧しいなりに生活を愉快なものにしようと、ラシャ紙を何色か買ってきて、『スーホのしろいうま』の1ページを間借りの狭い部屋の襖2枚に貼り絵で再現した。手伝えて嬉しかったことをよく覚えている。

Ikezawa_3 妹の次の「こどものとも」シリーズとの機縁は自分の子供たちということになるはずなのだが、これが意外にも薄い。ぼくが3歳の長女を連れてギリシャから戻って出会ったのが姉崎一馬の写真だけで構成された『はるにれ』。しかしこれは娘のためというより自分のために買ってずっと手元に置いておき、やがては3女と4女を連れて我が郷里である十勝は札内川の川原に行って実際にその木を見たのが5年ほど前だったか。

 脇道にそれて少しだけ自慢をすれば、「こどものとも」シリーズに自著はないけれど、すぐ隣の「たくさんのふしぎ」に『宇宙のつくりかた』という1冊がある。佐々木マキさんの絵という望外の喜びが実現して、理系出身の身としてできた時はちょっと得意だった。しかもこの本、最近なぜか韓国語版がとても人気なのだ。

Ikwzawa_45歳当時の池澤夏樹さん

池澤夏樹近影池澤夏樹 作家・翻訳家・詩人
1945年、北海道で生まれる。1987年発表の『スティル・ライフ』で第98回芥川賞を授賞。著書に『花を運ぶ妹』『熊になった少年』『キップをなくして』などがある。2014年より、全30巻におよぶ「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」(河出書房新社)の刊行を開始し、上梓。