あの年に生まれた「こどものとも」

1975年 「なにごとも じぶんで おぼえるのか かんじん」 大道あやさんが60歳を超えてはじめて描いた絵本『ねこのごんごん』

DSCF3769お腹を空かせて野山をさまよっていた1匹の子猫は、おばあちゃん猫のちょんに、ごんごんと名づけられ農家で暮らすことになりました。こたつの中でおもらしをしてしまったとき、木から降りられなくなってしまったとき、あやまって池に落ちてしまったとき、ちょんはそのたびにどうすれがいいかをごんごんに教えてくれました。そして必ずこういって聞かせます。「なにごとも じぶんで おぼえるのか かんじん」。そしてごんごんが一人前の猫になるほんの少し前、ちょんは天国へと召されていきます。おおらかな優しさを持つちょんの姿に、祖父母が孫を愛しむ姿を重ねたかたも多いのではないでしょうか?

DSCF3777この作品を描いた大道あやさんは「原爆の図」でも知られる丸木位里の妹で、60歳を過ぎて絵筆をにぎり、『ねこのごんごん』は彼女がはじめて描いた絵本となります。幼いころから猫が好きだったという大道さん。おばあちゃん猫のちょんと、幼いごんごんとの描きわけが見事なのはもちろんですが、その背景に描きこまれた生きものたちの描写も必見です。かえる、くも、あり、とんぼ、きのこ、つばき、からす……。ご自身が苦手だともいわれる「へび」までもが、生き生きとそしてみんな等しく描かれています。

大道さんはその後も絵本を描き続け、『こえどまつり』(1976年10月号)ではブラティスラヴァ世界絵本原画展・優良賞を受賞、1980年代には『あたごの浦』(1980年9月号)、『たろうとはなこ』(1987年8月号)などの作品を残しています。彼女が描く作品はどれものどかな優しさにあふれています。

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戦後30年となったこの年の4月号に、父を広島の原爆によって亡くし、自身も被爆体験もつ大道あやさんの作品が採用されたのは、偶然だったのでしょうか? 『ねこのごんごん』の折り込み付録の中で、大道さんは、兄と兄嫁である丸木俊が描いた「原爆の図」が展示してある美術館に「原爆の激しさ、人々の痛痛しさを思い出して身震いします。」と、館内に入れなかったことを明かしています。

また、この折り込みには丸木俊さんも原爆に言及する寄稿をよせています。丸木さんは『でてきておひさま』(1958年7月号)、『12つきのおくりもの』(1971年12月号)の著者でもありました。最後に丸木俊さんの寄稿を引用したいと思います。

(前略)父から母から祖父母から、その又母、その又父の又母の延々とさかのぼって語り伝えられた民話のすごさはここにあるのでありましょう。人類が文字を得た時、ハタと、この語り伝えの見事な花は散ったのではないでしょうか。/それは、人類が電灯を得て、石油を掘りあて、原爆を手にしたその時から下降線をたどって弱体化するように。/海も山も野も空も汚され、魚もなく、米もなく麦もなく、自ら汚した砂漠をさまよわねばならなくなる時がくる。(中略)文明を切り換えなければ。やっぱり人間は自滅するでしょう。

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