あの年に生まれた「こどものとも」

1965年 働く女性の自画像『ぐるんぱのようちえん』

第18回夏季オリンピックが東京で開催された翌年の1965年は、新・三種の神器といわれる、カラーテレビ、クーラー、自動車が、生活必需品として豊かさやあこがれの対象となっていた時代です。そんな1965年の1冊として取り上げるのは、5月号として刊行された『ぐるんぱのようちえん』です。

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ひとりぼっちがさみしくて涙を流していたぞうのぐるんぱを、ジャングルの仲間たちが体を洗って働きに出すところからはじまるこの絵本。にっこり笑って出発したぐるんぱですが、靴屋、ピアノ工場など、どこに行っても作るものが大きすぎて失敗ばかり。また泣きそうになっていると、12人の子どもを抱えて忙しそうに働いているお母さんに出会います。そのお母さんに、子どもたちと遊んでほしいと言われたぐるんぱは、自分が作った大きなピアノをひきながら歌をうたいます。その歌を聞いて、あっちからもこっちからも子どもたちが集まってきます。そして、失敗作だったはずの大きすぎるピアノやスポーツカーを使って、ぐるんぱが開いたのは楽しい幼稚園。そこで、すべり台になってあげたぐるんぱは、子どもたちに大人気! もうさみしくありませんでした。

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『ぐるんぱのようちえん』が、刊行からすでに50年を過ぎていると知り、驚く方もいるかもしれません。ぐるんぱのすべり台や大きなお皿のプールで遊びたい! びすけっとを食べてみたい! と、時代をこえて子どもたちに親しまれているこの作品は、コピーライターとして活躍していた西内ミナミさんがはじめて手がけた絵本です。西内さんは、出産前まで博報堂で働いていました。当時、女性は結婚したら仕事を辞めるのが普通、母親になったらなお辞める時代。大きなおなかを抱えて、これからどうしようかと思っていたそうです。そんなとき、自宅から近くて、当時ではめずらしく週休二日など自由な働きかたができたアド・センターでコピーライターを募集していることを知ります。そして、早速今までの作品を抱えてアド・センターを訪れた西内さんは、そこでアートディレクターをしていた堀内誠一さんに出会います。堀内さんに明日から来るよう言われた西内さんは、すぐに博報堂に産休届を出し、本当に次の日から出社しました。
そんなある日、堀内さんから「絵本のお話を書いてみないか?」と声をかけられた西内さん。学生時代から児童文学を書いていましたが、絵本ははじめて。ちょっと破天荒な、今までにないお話を書きたいと思っていたそうです。そうやって生まれた『ぐるんぱのようちえん』は、長い間読み継がれていく絵本となりました。あとになって、西内さんは、『ぐるんぱのようちえん』を、自画像のようだと振り返ります。転職したり、幼子を抱えて働く不安な気持ち、夢だった作家になれたうれしい気持ち、いろいろな気持ちがそこには現れていて、それがちょうど読者である子どもたちの自立したい気持ちにぴったりあったのだろう、と。

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他には、『どうぶつのおかあさん』などの動物絵本で有名な薮内正幸さんのデビュー作『くちばし』(1965年10月号)や、その後わらべうた絵本の第一人者となるましませつこさんのデビュー作『わらべうた』(1965年12月号)が刊行されたのもこの年でした。また、『ねずみのおことわり』(1965年9月号)は、20代半ばのお母さんだった中谷幸子さんが月刊誌「母の友」に投稿したお話を原案として生まれた作品でした。編集部が、いかに広い領域で新しい作家の発掘に努めていたかが、うかがえます。

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