あの年に生まれた「こどものとも」

1962年 「こどものとも」第二期の幕開け『おおきなかぶ』

2「うんとこしょ どっこいしょ!」。それでもかぶはぬけません。ついにはねずみもよんで……。訳者の内田莉莎子さんのリズム感あふれる文章と、佐藤忠良さんの横長の画面を見事に生かした力強い絵で、今も多くの子どもたちに愛されている『おおきなかぶ』が誕生したのが1962年でした。

実はこの年、「こどものとも」のつくりに大幅な変更があった年でもありました。創刊号から1961年度まで、「こどものとも」は9場面(20ページ)というつくりでしたが、19624月号『かもときつね』から、13場面(28ページ)に場面数を増やします。

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それまでの9場面で「こどものとも」をつくっていたころ、これでは場面数が少なく、ヨーロッパやアメリカの絵本に対抗できる絵本をつくることが難しいと頭を悩ませていた編集部は、4場面分ページを増やすことを製作部と営業部に提案します。それだけの場面数が増えることで、場面の変化や連続性を意識できるようになり、もっとおもしろく、子どもにとってより良い絵本がつくれると考えていたからです。
しかし、そこで問題となったのが価格でした。原価計算をしたところ、定価はそれまでの倍の1冊100円に。月刊絵本の相場が1冊60円だったころでしたから、100円は破格です。定価100円の月刊絵本が売れるわけない、ただでさえぎりぎりの売り上げの中そんな企画は無茶だ、と営業部は大反対しました。一方、編集部側はそれで折れるつもりもなく、反対する社員に対しては「『こどものとも』の読者は、そんな読者ではない、きっとわかってくれる」と言い返したといいます。
大激論の末、決め手となったのは当時の社長の「編集者がそれだけ言うんだから、やってみたら?」という一声でした。これで、定価100円の28ページ絵本という新しい形が決まり、1962年度から場面数、内容をさらに充実させた「こどものとも」の第二期がはじまります。

第二期は、編集者が切り札としていた山田三郎さんの絵と内田莉莎子さんの訳による、ビアンキ原作『かもときつね』で幕をあけます。そして、続く5月号にさらなる切り札として用意していたのが『おおきなかぶ』でした。

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翻訳を担当したのは、4月号に続き内田莉莎子さん。ふた月連続して同じ書き手の文章を使用するということはあまりないことですので、いかに気合いが入っていたか、おわかりいただけるでしょう。ロシアの力強い民話を内田さんが訳し、「うんとこしょ どっこいしょ」の名訳が生まれます。そして絵は彫刻家の佐藤忠良さんが手がけます。当時、すでに一流の芸術家として名をはせていた佐藤さんでしたが、「ひっぱっている」絵の表現に苦戦し、自分の気に入る絵になるまで3度描き直します。不朽の名作『おおきなかぶ』は、こうして生まれました。

定価を100円に上げてまで場面数を増やしたこの年、赤字なら廃刊ということも十分に考えられた「こどものとも」でしたが、結果、なんと4月号から部数が伸び、会社の絵本部門が黒字に安定することになります。前年の横判への挑戦に続き、「子どもに最良の絵本」を追求し、リスクを負ってまでもページ増、価格増にふみきった結果、読者の方もそれに答えてくれる形となったのでした。

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この年は他にも、科学の視点をはじめて「こどものとも」に盛り込んだ、加古里子さんによる『かわ』(7月号)や、海外ではじめて翻訳出版された『かばくん』(9月号)、『だいくとおにろく』(6月号)、土方久功さんの初絵本作品『おおきなかぬー』(1月号)などを刊行します。28ページの横長絵本にすることで、物語の展開や絵の構図など表現の幅を大きく広げることに成功した年となりました。

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