あの年に生まれた「こどものとも」

1957年 芸術としてのマンガを日本の子どもたちに届けたい 『がんばれさるのさらんくん』

1957表紙
1957年に「こどものとも」(1号〜11号)が第4回サンケイ児童出版文化賞を受賞したことで、廃刊も覚悟していた「こどものとも」編集部は自信を取り戻しました。さらに新たな絵本の可能性を模索しながら絵本を作り始めた編集部は、その新たな絵本表現の1つとして、マンガの画風で何か面白い表現をできないかと考えていました。当時、日本でも子どもを対象にした、大衆的なマンガ作品は大変人気がありましたが、海外で作られはじめていた芸術としてのマンガを、日本の子どもたちにも、「こどものとも」で、見せてあげられないだろうかと考え、相談をしたのが、堀内誠一さんでした。

そんな折り、ゆかいな動物物語の原稿を、童話作家の中川正文さんからあずかった編集部が、堀内誠一さんに絵をお願いしたところ、堀内さんご本人から当時新進のマンガ家だった長新太さんを紹介されたのでした。そうして誕生したのが『がんばれさるのさらんくん』です。1957見開き町の動物園で「動物オーケストラ」をつくることになり、さるのさらんくんは、トランペットを吹くことになりますが、「すか すか すー」と、ちっとも音が出ません。園長のむすめさんと一緒にめげずに練習してやっと吹けるようになったころ、動物園が大火事になってしまい、さあ、たいへん!  動物たちとむすめさんとの心温まる交流のお話に、長新太さんの洗練された線と、マンガ家としての構成力が加わり、これまでの「こどものとも」にない迫力ある絵本を生み出しました。そしてこの1冊が、長新太さんの絵本作家としてのデビュー作となりました。

作品について中川正文さんは「長さんの絵はすでに文章のはいりこむ余地のないほど、物語性をもった、すぐれたものでありました。」と、瀬田貞二さんは「明るくて楽しくておどけていて自由なデザイン感覚があり、新しい美しさにあふれています。」と評しており、マンガを取り入れた新しい表現が、十分に子どもたちに楽しんでもらえることを、長新太さんが示してくれた絵本となったのでした。1957その他

1957年は他にも、長新太さんが「ああいう絵を描きたい」と話していたという山中春雄さんの『ぺにろいやるのおにたいじ』(15号)や、三芳悌吉さんの『もりのむしたち』(17号)、画家で後に舞台美術の分野でその名を知られるようになっていく朝倉摂さんが絵を手がけた『すねこ・たんぱこ』(22号)などが生み出され、子どもたちに本物を届けたいという思いの元、バラエティ豊かな作家たちが、本物の絵本作りに心血を注いだ年となりました。

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