長谷川摂子さんと絵本作家

【第12回】瀬川康男さん|物語を絵にする時、文体の感じをつかまえたい。

1986年4月から3年にわたって「こどものとも折り込み付録」にて連載された、故・長谷川摂子さんと13名の絵本作家の対話の記録を、1年間にわたって再録してお届けします。第12回は、『ふしぎなたけのこ』『ばけくらべ』『ぼうし』などの絵本や、『西遊記』の挿画などを手掛けた、勢いのある独特の描線が魅力の画家、瀬川康男さんです。オレンジ罫線2ふしぎなたけのこ
小・中・高時代
長谷川
 瀬川さんにとって、子ども時代というのは、どんなものだったんでしょうか。
瀬川 あんまり楽しい思い出はないな、おれは。
長谷川 普通、小さい時っていうのは、すごく幸せな時代として思い浮かべる人が多いんですけど、ぜんぜん?
瀬川 そういう人多いね。おれは、やだね。思い出さないね、ぜんぜん。
長谷川 思い出したくない?
瀬川 ないね。
長谷川 『ふたり』とか、ああいう、瀬川さんの絵本を見てると、私は、遊び好きの瀬川さんていうのを感じちゃうんですけれどもね。だから、子どもの時、すごくふざけて、目茶苦茶に遊んだ人かなとも思ったりしたんですけれども。
瀬川 遊びはね、ひどく遊びましたよ。
長谷川 そうでしょう、やっぱり、なんて。(笑)
瀬川 おれは、みんなに慕われるたちらしくてね、集まってきちゃうんですよ。それでね、遊びでも、全校生徒を指揮して遊ぶように、だんだん大きくなっちゃって。校庭いっぱい。天下落としっていうのが、あるんですけどね。
長谷川 天下落としって、どういう遊びですか。
瀬川 真四角な図形を書いて、それで、真ん中に、こういうふうに丸い図形を書いて……。400メートルのトラックの中いっぱいに書く。
長谷川 すごい大きさですね。
瀬川 それでね、両方に分かれて、それぞれ軍勢が配置されて、この真ん中の所で大合戦をやりましてね。
長谷川 それは、取っ組み合いをするわけですか。勝ち負けは、どうやって決めるんですか。
瀬川 線から出たら、負け。
長谷川 線から引っぱりこんでもいいし、外へ出しちゃってもいい?
瀬川 うん。
長谷川 それは、何人ぐらいでやるんですか。
瀬川 何人でだってできますよ。学校中の元気なやつがみんなね、下級生も集まってきてね。それで、けんか起きるでしょう。そういう時に仲裁役はぼくで、「やめなさい」って言うと、だいたい、やめてくれるわけよ。
長谷川 はあ……。
瀬川 そんな、こわもてなんかしない。だからね、なんていうの、子どもながら、責任感を感じちゃうわけですよ。
長谷川 そうでしょうね。もう公正にいかなくちゃいけないから。
瀬川 うん。だから、ちっとも楽しくない、自分では。(笑)
長谷川 そこで、答が出たわけね。(笑)それじゃ、いつも何かをやってる時って、そういう重圧を感じながら、大役を引き受けてる。(笑)
瀬川 だから、縁の下の力持ちみたいなのばっかりやって。
長谷川 そうですか。そんな中で、孤独に絵をかくのが、解放的な時間であったということ?
瀬川 絵も、あんまり上手じゃなかったですね。
長谷川 小学校の時?
瀬川 うん。案外、優等生でね。ほかの学科に比べて、絵が一番だめだった。
長谷川 それは初耳。(笑)昔から絵はうまかったと聞いてたんですが。
瀬川 うん。中学1年の時、日本画の先生の所に弟子入りした時にね、「かいてごらんなさい」って言われてかいたら、非常に激賞されたんだよ。それで、おれは絵がうまいんだと思ったの。
長谷川 その時いきなり、なんの修業もなしにかいて?
瀬川 ええ、まあ、おやじがかいているのを、そばで見てて、ちょっとかかせてもらったりしてた。おれの方がうまいもんだからね、もうかかしてくれなくなっちゃったですね。(笑)
長谷川 それは、中学の時のことですか。
瀬川 いや、小学校の時。おやじが南画の通信教育をやっていたんだけどね。小学校で写生大会っていうのがあるでしょう。あれで、貼り出されたことないのよ。同級生でね、すごくうまいのが3人いてね。後年、ぼくが絵かきになったっていう話を聞いてね、3人で訪ねてきてね。お前、大丈夫かって。(笑)ほんとに心配してくれた。中でも一番うまかったやつ、今、何やってると思います? 看板屋。
長谷川 あ、そうですか。一般的に、子どもの目で見て上手な絵っていうのは、ちょっと看板屋的なとこ、ありますもの。
瀬川 それで、先生も上手と思うもんね。(笑)おれのは、ものすごい異常色感でね、いやらしい色を使うんですよ。そういう重圧があったんでしょう。紫に黄色混ぜたり、気持の悪い絵です。
長谷川 それで、日本画の先生の所でおかきになったのは、その激賞された絵っていうのは、どんな絵だったんですか。
瀬川 先生が、こうね、かいて見せるの。付立で。没骨描法っていうんですけどね、葉っぱなんか、線でかかないで、色をちょっとつけて、葉脈かいてっていうようなかき方ね。
長谷川 花鳥画の基本みたいなものですか。
瀬川 それ。先生のをまねしてかいたら、だいたいかけるもんなんですよ。
長谷川 そういえば、わたしもかいた覚えがある。小学校4年の時、変な先生がいて、算数も国語もつぶして、毎日、墨と書道の筆で、水仙の花なんかかかせたんです。わたしは下手クソだったけれど、あれは気分、よかった。水仙の葉っぱなんか、筆をすうっとすべらして、ちょっとねじったりすると、もう、一筆でかけちゃう。すごくうれしかったですね。それで、中学1年の時に、日本画を習いに行かれたということですが、ご自分で習いたいということで?
瀬川 そう。その時分、なんにもやることなかったから。我々は、八紘一宇だって言って、いわばだまされたようなもんでしょう。だから、怒り心頭だったんですよ。それで、どうして生きていっていいかわかんないもんね。だから、心を慰めるためにね、絵をかきたいなと思ってたら、門人の募集の看板があったの。それが、新聞紙をぐちゃぐちゃにした中に、するめが入っていて、額縁の中にあるの。それで、不思議なことをしてあると思って、近づいて行ってみたら、それが絵だったの。しわくちゃの新聞紙も全部かいてあった。
長谷川 日本画で?
瀬川 うん。すごい腕だと思ってね。即日、入門した。あの時分はね、みんな芸術やりたがってね。ほら、若い人も、みんな指針を失っていたからね。石屋のあんちゃんなんかも、絵具箱かついで、遊んでたんですよ。だから、その先生の所にもね、そういう青年たちがいっぱい来てた。
長谷川 絵具も、石を削って作ったとか。
瀬川 うん、白はね。なかったし、高かったし。
長谷川 それで、何年くらい?
瀬川 1年半ぐらい習ったかな。
長谷川 高校の時、美術部で活躍されてたそうですが、どんなことを?
瀬川 演劇の舞台装置を作ってた。舞台装置は、ちょっとした顔ですよ、あたしゃ。(笑)あのころは、徹夜で飲みながら作ってた。
長谷川 なんか楽しそうですね。もうそのころは、子ども時代の重圧感はどこかへいっちゃったのかしら。
瀬川 そりゃ、もう。

(次頁につづく)

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