長谷川摂子さんと絵本作家

【第11回】佐々木マキさん|「最初の読者はぼくだ」というのが、マンガをかいていたときからある

1986年4月から3年にわたって「こどものとも折り込み付録」にて連載された、故・長谷川摂子さんと13名の絵本作家の対話の記録を、1年間にわたって再録してお届けします。第11回は、『やっぱり おおかみ』『まじょのかんづめ』などの絵本を手がけ、くっきりとした描線と独特の世界観が魅力の、佐々木マキさんです。オレンジ罫線2佐々木マキ1
マンガと映画とビートルズ
長谷川
 絵をかくのは、小さいころから、お好きだったんですか。
佐々木 そうですね。ただ、学校の図工は、苦手というか、嫌だったですね。
長谷川 マンガを見るのは?
佐々木 好きでしたね。ぼくらの小さいころは、手塚治虫と杉浦茂。
長谷川 手塚治虫は、アトムとか?
佐々木 そうですね。アトムの連載が始まったのが、1951年ごろですね。
長谷川 そうすると、佐々木さんが五歳ぐらいのときですね。あれは、何に連載されてたのかしら。
佐々木 「少年」です。
長谷川 毎月、とってらしたんですか。
佐々木 それが、まあ、どの家の子どもも、月に一冊くらいは雑誌をとってもらえたんですけれど、何冊もは買ってもらえない。だから、ぼくは「少年クラブ」、○○は「おもしろブック」、○○は「少年」、○○は「少年画報」、○○は「冒険王」というふうにして、それで回してたんですよね。
長谷川 ああ、それは私も同じ。でも、私は少女だったから(笑)「少女」とか「少女クラブ」。手塚治虫の『リボンの騎士』を読んでた。
佐々木 お姉さんの「女学生の友」とか妹の「りぼん」とか持ってきて、仲間に入りたいという子もいたから、女の子向けの雑誌も結構、見ていましたね。
長谷川 杉浦茂なんかも懐しい名前。
佐々木 アトムと比べると、杉浦茂のドロンちび丸とかは、もっとナンセンスで、もっとバカげていて、ファンタスティックで……。
長谷川 手塚治虫と杉浦茂と、どちらが、お好きでしたか。
佐々木 両方とも好きでしたね。手塚治虫のは、いわゆる映画的手法を駆使した、非常に洗練されたもので、杉浦茂のは、コロッケ五えんのすけとか、コッペパンタローとか、登場人物がぼくらの親しい食物であったりとか……。話もあってないようなドタバタとプロレスみたいな……。

◇映画の話
長谷川
 『やっぱり おおかみ』の折り込みに「映画館の前のスチール写真ほど、想像力を刺激するものはありません」と書かれていましたが、子どものころは、佐々木さんの家の半径500メートル以内に、映画館が5、6軒あったそうですね。スチール写真を、佐々木さんが想像力や妄想力でつなぎ合わせて、おもしろい話を作り上げて、家族の前でトクトクと説明をするので、お母さんが、この子はホラ吹きになると嘆かれたという話も、とてもおもしろく読ませていただきました。映画は、どんな映画が印象に残っていますか。
佐々木 そうですね。小学校のころはディズニーとか。ふだん、中村錦之助とか東千代之介とかのチャンバラを見ている映画館を、午前中だけ学校が借り切って、毎年ディズニーの映画をやったんです。
長谷川 ディズニーは特に何が?
佐々木 ピーターパンとか、ピノキオとか。
長谷川 今の佐々木さんにとって、ディズニー体験は、どう生きていますか。
佐々木 そう聞かれても困りますが、ただ、子どものころにとてもぜいたくな愉しいものを観た、という思いが残っていて、とにかくディズニーが好きで好きで、今でも春休みや夏休みにディズニーの映画をやると、必ず子どもたちを連れて観に行きます。30年振りに観ても、やはりすばらしい。
長谷川 学校で見る以外にも、映画はたくさん、ごらんになりましたか。
佐々木 ええ、それはもう。近所に東映、大映、松竹、日活、東宝と、それぞれ映画館があって、あと2軒くらい、古い洋画をやる所もあって、もう、よりどりみどり。
長谷川 それじゃあ、週に何回も?
佐々木 そうです。小学校の5、6年ぐらいになると、洋画の3本立てとか、1日おきくらいに……。それから、1960年ごろ、映画の当り年っていうか、「太陽がいっぱい」とか「勝手にしやがれ」とか「十二人の怒れる男」とか「お熱いのがお好き」とか「北北西に進路を取れ」とか、もういろいろ。映画の話をしだしたら、1冊の本になるくらいですよ。
長谷川 そのころだと、佐々木さんは中学生でしょ。すごいですねえ! ありきたりの質問ですけど、少年の佐々木さんにとって、映画はどんな世界だったんでしょう。
佐々木 まさに魅惑の世界でした。うんざりするような日常の世界から、一歩映画館へ足を踏みいれると、恋あり冒険ありドラマチックな悲劇あり……の世界にはいれるんですから。少年時代に、映画から量りきれないほどたくさんのことを、ぼくは学びました。

◇マンガの話
長谷川
 マンガを作品としてかき始めたのは、何歳ぐらいからですか。
佐々木 高校ぐらいからですね。
長谷川 高校は、工業高校のデザイン科に入られたんでしたね。『やっぱり おおかみ』の折り込みに「高校でぼくは演劇部員でしたが、右隣りの文芸部の藤村的感傷や太宰的あまったれ趣味を鼻の先で笑って、左隣りの新聞部の左翼的悲慣コウガイぶりをコッケイなものと感じておりました。ぼくたちは、乾いたもの、狂ったもの、ファンタスティックなもの、すばらしくバカバカしいもの、つまり超現実的でナンセンスなものにひかれていました」と、ありますけれど、いつの時代でも、そういう乾いた少年たちがいると、佐々木さんは思っていて、マンガをかくときに、そういう少年たちを読者として思い描いたということでしたね。
佐々木 そうでしたね。15年前の文章です。今はちょっとそういうことを言ったりしたことが恥ずかしいですけど……。
長谷川 佐々木さんの絵本も、もちろんおもしろいんだけど、毎回の折り込みの文章がまた、おもしろい。新しい読者の方たちには、なかなか読むことができないので、ついつい引用をさせていただくことになってしまって……。

◇ビートルズの話
ビートルズについては、あちこち、折り込みにも書かれていますが、ビートルズとの出会いというのは、やはり高校時代ですか。
佐々木 
そうですね。17の時です。
長谷川 
どんな感じでしたか。
佐々木 
それはもう、自分の中に以前からずっとあったのに、その存在に自分でも気がついていなかったもの、それが、ビートルズによって発見させられたというか……。
長谷川 
なんかこう、皮がはじけるような感じ?
佐々木 
そうそう。ぼくの中にもあったものが、やっと突破口を見出したような感じでしたね。
長谷川 
佐々木さんの絵を見たときに、私、音楽が絵の中に入ってるなど、強く感じたんですよね。
佐々木 
そういっていただけると、すごくうれしいですけどね。というのは、ぼく、クレーの絵がすごく好きなんですね。クレーの展覧会なんか見ると、室内楽のすごくいいのを聞いたような感じがするんですよね。だから、音楽が感じられるような絵が、もしかけたらいいなと、常々思っていたんです。
長谷川 
私は、佐々木さんのマンガに、ときどき、ビートルズのビートを感じちゃう。みんながビートルズに浸っていた時代というのがありましたね。
佐々木 
そうです。ぼくらの世代は、だいたいそうですね。それで人生狂った人、いっぱいいる。(笑)自分にも何かができるんじゃないかって……。

(次頁につづく)

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