長谷川摂子さんと絵本作家

【第10回】松岡享子さん|物語というものは、人間が生きていく上で、どうしても必要なものだと思いますね

松岡享子4本を読むこととお話をすること
長谷川 前回、松岡さんがアメリカの図書館にいらしたお話で終わりましたが、その続きから—。
松岡 ムーアさんだけでなく、今世紀の初めから30年、40年代にかけては、かなり力量のある児童図書館員が輩出した時代だったんですね。そういう傑出した指導者のもとで訓練を受けた人たちが、私が働きはじめたころ部長クラスになっていたんです。
長谷川 アメリカの児童文学を読んでみると、ユーモアにたけているという気がするんですが、松岡さんの創作や翻訳なさったものも、ユーモラスな要素が多いですね。やはり、アメリカにいらしたことと関係がありますか。
松岡 確かに関係あると思いますね。意識的にユーモラスな要素を求めるようになったのは、やはりアメリカでの生活の影響だと思います。向こうの人たちは、ユーモアのセンスを非常に高く評価するんですね。たとえば、会社で人を採用するときの条件とかなんかに、必ずといっていいほど出てきますし、ふだんのおつきあいの中でも、「あの人はユーモアのセンスがあるね」といわれることは、日本で考えられているよりはるかに高い点がついたってことなんです。演説なんかでも途中で必ず1、2回聴衆を笑わせますでしょ。
長谷川 それから、松岡さんの評論を読むといつも感じるんですが、一つの問題が出て来た時に、そこにどういう芽があるかということを、多岐にわたって深く掘り下げて、そこからまた考えては進み、考えては進んでいく思考の積み重ねということですね。一般に、日本人は、そういうことが苦手なんじゃないかという気がするんですが、そういう訓練というものも、アメリカでのディスカッションの中で?
松岡 いいえ。ディスカッションにフルに参加できるほど英語の力は十分ではありませんでしたね、学校にいたときは。それは、言葉の問題でもあるし、ディスカッションそのものに慣れていなかったということでもあるんですけど。それに、あんまりゆっくり人の言うことを聞いてくれないですよね、自分の主張を押し出すのが先で。
長谷川 そんなふうに、相手の言うことを聞かずに、議論ができるんですか。
松岡 よっぽど質のよいディスカッションでないと、だいたいそう。自分の立っているところから決して後ろへ下がらないっていうか、譲歩しないで議論を先へ進めようとするのね。こっちは、人の話を聞きながら、この人の言うことをそっくり認めるとしたら、自分としては何が言えるか、なんて、後ろへ下がることばかり考えるから、どうしても一呼吸も二呼吸もおくれてしまうんですよね。
長谷川 それでは、問題を詰めていくというような訓練は、どこで?
松岡 それは、多分、ひとつには高校時代に友人と議論する中で身につけたんだと思いますね。特にクラブ—―私はコーラスと演劇をやっていたんですけど―—の男子の上級生。議論を議論として楽しむ世代だから、そこで鍛えられたってことがあると思います。それから、もうひとつは本。昔のことで中身は忘れてしまったけど、中村光夫の『二葉亭四迷傳』なんかを、ものすごく面白いと思って読んだおぼえがあるんですよね。それと、主題は全く違うけど、バージル・ウィレーの『キリスト教と現代』とか。書いてある内容もだけど、攻め方っていうのか、議論のもっていき方に、すごく快感をおぼえたんですよね。(笑)そんなことで、知らずしらず人を説得するやり方を学んでいたのかもしれません。

◇お話のこと
長谷川 
松岡さんは、子どもたちにお話をするストーリーテリングのお仕事をなさっていますが、本を読むこととお話をすることとが、どういうふうに結びついていったんですか。
松岡 
本が好きってことは、つまりは、お話(ストーリー)が好きだってことだと思うんです。人から聞くのも、人にするのも好き。本で読むのも好きってことです。残念ながら、私自身は、小さいとき、おじいさんやおばあさんから話をしてもらうとか、幼稚園でたくさんお話を聞く、とかいうことはなかったんです。でも、本を読んでお話は知っていたし、人にそれを話して聞かせるのも得意だったらしいんですよ。昔は、体育館なんてなかったから、体操の時間に雨が降ると、お話の時間なんていって、順ぐりに教壇のところへ行ってお話をしたりしてたんですけど。そんなとき、「松岡さあーん」なんて、みんなから指名されたりしてね。本でおぼえた話をせっせとしてました。ある時、タネ切れになっちゃって、前に出ていきなりその場で話をつくりながら語りはじめたんですよね。それが途中でどうにも収捨がつかなくなっちゃって、ものすごく困って。(笑)
長谷川 
どんなお話だったんですか。
松岡 
まことに荒唐無稽なお話でね。何人かの人が、飛行船っていうのか、気球っていうのか、そういうのに乗って旅をする話なんですけど。人が乗る部分は畳敷きでね。あちこち行ってるうちに、文字通り話を地面に降ろせなくなっちゃったわけ。(笑)そのうちに終りの鐘が鳴ったのか、強引に結末をつけたのか、おぼえてないんだけど。(笑)
長谷川 
松岡さんは、アメリカの図書館で、ストーリーテリングの訓練を受けられたんでしたね。
松岡 
ええ。向こうは職場内訓練が行き届いていますから、児童奉仕部にストーリーテリング専門の監督がいて、新任の図書館員は、その人の指導を受けます。その人の前で語って、オーケーが出たら、子どもにお話ができるんです。お話の時間は毎週ですから、最初は、お話をおぼえるだけでも大変でした。でも、子どもたちがよく聞いてくれて、とっても楽しい経験でした。
長谷川 
そうでしょうね。英語でお話できて、それを子どもたちがよく聞いてくれたら、うれしいでしょうね。
松岡 
向こうの子どもたちは、ほんとにもう、包み隠さず顔に出すでしょう。だから、顔見てたら、ほんとにおもしろい。主人公が危い目にあいそうになると、首振ったり、うなったり……。
長谷川 
そんな子どもを見ていると、物語って何なのだろうと思いますね。
松岡 
そうねえ。物語というものは、人間が生きていく上で、どうしても必要なものだと思いますね。生きていくってこと自体、自分という物語を作ることだと思うし、それだからこそ、他人の物語を知る必要があるんだと思います。自分が生きていく参考にするためにね。いわゆる昔話だって、小説だって、文学は、広い意味で全部物語でしょう。そして、物語は、本なんかが出来るずっと前から、語られていたんです。だから、お話を語ることは、本よりずっと本来的な、根源的な形なんですよね、物語の伝え方としては。それに、目から読むっていうのは、どうしても知的な作業になるけど、耳から聞くときは、心がもっと素朴な、深い段階に降りていくから、それでこそ届く心の場所というのがある。それはもうお話をしていると、ほんとに感じるんですね。

(終り)

オレンジ罫線2ンタビューを終えて-長谷川摂子
昔、松岡さんの書かれたストーリーテリングのための小冊子を読み、余りの気迫と周到さに、いい加減な私はちょっぴりこわいと思いました。去年、著書、『こども・こころ・ことば』を読んで、状況を見すえて考えぬく、松岡さんの思考の強靭さに感心しました。でも、今度お会いした松岡さんの、なんと柔らかく暖かだったことか。子ども時代の遊びの楽しさを語って下さるときの、なんのケレン味もない無邪気ともいえるはなやぎに、私はすっかり魅せられました。すてきな方でした。
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松岡さんプロフィール写真

 松岡享子(まつおかきょうこ)
1935年、神戸生まれ。神戸女学院大学英文科、慶應義塾大学図書館学科を卒業後、ウェスタンミシガン大学大学院で児童図書館学を学び、ボルチモア市公共図書館に勤めた。帰国後、大阪市立中央図書館に勤務。その後、東京で家庭文庫をひらき、児童文学の研究、翻訳、創作に従事。現在、公益財団法人東京子ども図書館名誉理事長。絵本に『とこちゃんはどこ』、翻訳に「パディントン」シリーズ(以上福音館書店)など多数ある。

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