長谷川摂子さんと絵本作家

【第10回】松岡享子さん|物語というものは、人間が生きていく上で、どうしても必要なものだと思いますね

1986年4月から3年にわたって「こどものとも折り込み付録」にて連載された、故・長谷川摂子さんと13名の絵本作家の対話の記録を、1年間にわたって再録してお届けします。第10回は、「うさこちゃん」シリーズや「パディントン」シリーズなど、絵本や児童文学の翻訳で知られ、ご自身も『くしゃみくしゃみ天のめぐみ』『とこちゃんはどこ』『おふろだいすき』などの絵本を手がけている松岡享子さんです。オレンジ罫線2松岡享子1
小さいころ読んだ本
長谷川 松岡さんがお育ちになったころ、日本は戦争中で、文化的にも貧しい時代だったと思いますが、どんな本を、お読みでしたか。
松岡 そうですね。本は全部、8つ年上の姉のお古でした。和歌山の祖母の所へ疎開したんですが、その時、昔風の扉に丸くガラスをはめ込んだような本箱に、自分の本を入れて持っていきました。150冊位あったのかしら。でも、みんなに、たくさん本持ってるねって、びっくりされました。
長谷川 ちょうど「赤い鳥」の時代の本でしょうか。
松岡 ええ、装丁のきれいな、小川未明の童話集なんか、おぼえています。
長谷川 お母様が本がお好きだったんですか。
松岡 いえ、母よりも父の方だと思いますね。本を買うことをぜいたくとは思わなかったらしく、割とよく買ってくれたんです。
長谷川 そのガラス戸棚に入っていた戦前の本の中で、印象的な本というのは何ですか。
松岡 そうねえ。アルスの日本児童文庫の日本童話集とか支那童話集とか、昔話のたぐいは繰り返し読みました。それから「自然のめがね」っていう科学の本。隕石のことやなんか書いてあったのをおぼえてます。それから、今思うと、割にちゃちな本だったんじゃないかと思うんだけど、子どものための伝記集で、何度も読んだのがあります。特によくおぼえているのは、ジャンヌ・ダルクとベートーベンの少年時代の話。ベートーベンはお父さんにピアノを習ってるんだけど、このお父さんがものすごく厳しくて、間違うとムチで打つのね。あんまりひどいので、ベートーベンは家出をしようと、夜中に部屋を抜け出すの。ところが、階段の踊り場まで来ると、お父さんの部屋からムチの音が聞こえてくるのね。よく聞いてみると、お父さんは、昼間ベートーベンを打った数の倍だけ自分を鞭打って、神様におわびをしつつ、息子を立派な音楽家にしてくださいと祈っているんだってことがわかるの。ああ、そうだったのかって。それからは、どんな厳しいレッスンにも耐えて、立派な音楽家になったっていうような話なんだけど。(笑)でも、子どもってまじめな人種でしょ。だから、大まじめにそういうものを読んでましたよ。
長谷川 私も伝記は、もうすごくまじめに読みました。
松岡 子どもには一種の倫理的な潔癖さみたいなものがあるから、世慣れたおとなたちが、へへんってせせら笑うような本でも、まじめに読んで、感動するってことがあると思いますね。今の私から見れば、それほど質の良い本ではなかったと思いますけれど。
長谷川 私も、シュバイツァーの伝記で、もう頭の中が燃え上がっちゃっていた時に、親におつかいを頼まれて、燃え上がったまんまかけ出して、ころんで、ひざをひどくすりむいた。(笑)
松岡 昔は読書環境はそんなに良くなかったかもしれないけれど、本を読んで空想する楽しさは、たっぷり味わったと思いますね。よく、本を読み出すと、呼んでも返事しないって怒られました。空想にふける時間をたくさん持ったことは、大変ありがたかったと思います。

◇少女小説は読まなかった
長谷川
 吉屋信子の少女小説とか、ああいうものは、読まれなかったそうですね。
松岡 そうなの。そういう本は読もうと思えば、手に入ったんだけど、いわゆる少女小説を読む少女期が、ちょうど新制中学のころで、初めての男女共学だし、何か新しい溌剌としたものを求める空気があったでしょ。だから、しめっぽい感じのものを意識的に毛嫌いしてたのね。少女小説なんか読んでいる人たちを、ちょっと軽蔑するような気持がありました。
長谷川 私、読んでたんです。軽蔑されてたんだ。(笑)戦前から戦後にかけて、少女時代を過ごされた?
松岡 そう。新制中学の1期生。どさくさにまぎれて育ったという世代ね。
長谷川 戦後になって、岩波の少年文庫なんかが、1950年ごろから出だしたんですよね。
松岡 ええ。それは高校生ぐらいの時に読みました。大学に入ってからも、付属の中高部の図書室によく通って、少年文庫を片っ端から読みました。
長谷川 それと並行して、おとなの本も読んでらしたんですね。
松岡 そうですね。
長谷川 子どもの本が、おとなになってからも引き続き、ずうっとおもしろかったというのは、どういうことでしょうね。
松岡 うーん……。
長谷川 おとなになると、子どもの本から足を洗うみたいにして、ドストエフスキーとかトルストイとか、漱石、鴎外というような所へ行ってしまう人が多いんじゃないですか。
松岡 そうね、私は、自分が幼稚園児のころから、幼稚園の先生になろうと思っていたから、将来、そういう子どもに関する仕事につくかもしれないという意識から読んだということも、ひとつあるかもしれない。でも、とにかく、ドリトル先生にしても、おもしろくて、おもしろくてたまらなかったんですね。片方で、おとなの小説を読んでいても、それとは全然違うおもしろさというか。
長谷川 子どもの本を共におもしろがる仲間とかは、いたんですか。
松岡 いいえ、私ひとり。だからまあ、中高部の図書室にまで本を借りに行くなんて、おかしな人ねえなんて言われてました。おとなの本についてなら、話す人はいましたよ。
長谷川 子どもの本がおもしろくてたまらないということは……。
松岡 やっぱり空想的なおもしろさということでしょうね。私はおそらく大学生になっても、非常に子どもっぽい読み方ができたんだと思うんですね。
長谷川 幸せでしたね。(笑)私は中学3年の時に、チェーホフの「桜の園」を読んで、もう子どもの本ではなくて、こういうおとなの本を読もうって決心したんです。
松岡 ふーん、すごいですね。
長谷川 いや、私は前にも言いましたように、少女小説を貸し本屋から借りて読み暮らしていたもので、それを卒業したら、もう違うことを始めなきゃみたいな時期があったんですね。そういうレベルから足を洗ったら、もう一度、子どもの本の方に帰るということはあり得ないような感じ。でも、考えてみれば、本当にすぐれた子どもの本に出会っていなかったんでしょうね。
松岡 その点では、私は幸せでしたね。(笑)敗戦後のどさくさの中で、学校の圧力というものも全然ありませんでしたしね。
長谷川 学校は、どんなふうだったんですか。
松岡 今ならPTAが文句を言いそうな(笑)先生が大勢いてね。授業そっちのけで「とことんあほうになれ」という人生哲学を延々と説く復員軍人の先生がいるかと思うと、若い国語の先生は、一時間まるまる使ってジャン・バルジャン物語を、それこそ声涙共に下るといった調子で語る。天気がいいと外へいこうなんて言って、ブラブラ校外の山を歩いて、何でもいいから五七五にまとめてごらんって。今でもおぼえてますけど、「れんげつみ うっかりはまる こえたんご」という一句をものにした子がいて、先生に特大三重丸をもらったりしてね。(笑)

(次頁につづく)

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