長谷川摂子さんと絵本作家

【第9回】長 新太さん|優れたおとなというのは、子どものいい部分を頭のどこかに残している人間じゃないかと思ってる

さらんくん
漫画のこと絵本のこと

長谷川 小さいころから、漫画がお好きだったんですか。
 ぼくは、小学校2年ぐらいのときから、漫画家になろうって気持ちがあったの。それでね、理想像っていうのが、あったんですよ。朝起きると、いいお天気で、障子のところに朝日がさしていて、そこに、スズメの影がうつってるの。スズメがチュンチュン鳴いていて、さてこれから起きて、漫画でもかこうかな-そういう漫画家に、ぼくはなりたいというような作文を書いたことがあるんです。(笑)で、今、朝起きて、スズメがチュンチュン鳴いていると、ああやっぱりなれたのかな、これでいいのかな、なんだか変だななんて、自分で思ったりするけど。
長谷川 かくことは、そのころから、お好きで?
 教科書の横っちょに、漫画なんかかいて、先生によく怒られたりしてました。
長谷川 小さいころ読んでいて、お好きだった漫画とかは?
 ぼくらの時代は、『少年倶楽部』っていうのがあって、好きでしたね。
長谷川 『冒険ダン吉』とか-。
 『のらくろ』とか。そうそう、このあいだバッタリ、田河水泡さんに初めて会って、感慨無量というか、このおじいさんが『のらくろ』をかいてたのかなんて、不思議な気がしました。その人が今、目の前にいるということが、不思議というか。

◇一枚漫画のこと
長谷川 長さんは、一枚漫画というのを目ざして、漫画をかいてらしたと、うかがったことがありますが、『少年倶楽部』に載っていた漫画というのは、コマ漫画でしょう?
 そうですね。日本の漫画は、今でもほとんどコマ漫画ばかりです。一枚漫画というのは、読者が知的参加をしなきゃいけないところがあるわけ。キャプションは割合短かめで、絵を見て、読者があれこれ考えるということが多い。コマ漫画みたいに、手取り足取り全部見せていくという形じゃないから、日本じゃ、あまり盛んにならない。
長谷川 一枚漫画は、どういうところで、ごらんになったんですか。
 戦後、アメリカの『ニューヨーカー』という雑誌に、割合いい一枚漫画が載っていた時代があって、非常に優れた人たちが出たんですよ。ぼくたち漫画少年は、そういう人たちに憧れてた。スタインバーグとか、ジェームズ・サーバーとか、アンドレ・フランソワとかね。アメリカとかフランスとかイギリスでは、こういう一枚漫画の画集が、他の絵画の画集と並んで一緒に売ってるんですよ。だから、漫画の概念っていうのが、日本とそもそも違うみたいね。日本では、コミックとか劇画みたいなものを、漫画っていうでしょ。
長谷川 日本というのは、西洋文明をどんどん吸収して、追いつき、追いこせみたいなことをやってきているのに、一枚漫画のことでは、そうはならないんですね。
 そう。だから、心ならずも、コミックや劇画の方に行っている人もいる。一枚漫画っていうのは、ものすごく奥が深くて、わかってみると、非常におもしろいものなんですがね。ところが、一枚漫画だと、本屋でパッと立ち読みしたら、おしまいというふうになって売れないとか言われる。(笑)本当は、何回も繰り返し、絵を見て味わうという面が、一枚漫画にはあるんだけどね。
前に『朝日ジャーナル』で、もう亡くなった文楽とフランキー堺が対談やっててね。文楽に言わせると、寄席から帰ってから、自分の家のトイレへ入って、その落ちがわかってワーッと笑うっていうぐらい、昔の落語の落ちというのはひねってあったんだけど、今の人たちは、全然そういう考え落ちなんてわからないからだめだって。一枚漫画のおもしろさも同じで、知的参加ができないとだめっていうかね。

◇絵本のこと
長谷川 
長さんの初めての絵本というのは、『がんばれさるのさらんくん』でしたね。おとなの一枚漫画から、子どもの絵本を作られるようになったきっかけは?
長 
ぼくの漫画を見て、堀内誠一さんが、カメラのPR誌だったかな、それにかくようにと会いに来たことがあって、それで、堀内さんとつき合うようになった。あるとき、遊びに行ったら、「こどものとも」の『七わのからす』だかを、堀内さんがかいてたのね。それを見て、ぼくもこういう絵本の仕事をやりたいって言ったら、じゃ、やればなんて言ってね、しばらくたったら、『がんばれさるのさらんくん』の原稿を持ってきてくれたの。それは、堀内さんが絵をかくように頼まれたものだったんだけど、これは長さん向きじゃないかって、ぼくに回してくれた。それが、そもそもの始まり。
長谷川 
『がんばれさるのさらんくん』は、線のリリシズムというか、透明感のある画面構成がとても印象的な絵本ですね。それからすぐに「こどものとも」で『おしゃべりなたまごやき』を出され、それも同じような画風だったと思いますが、その後、改訂版として出された『おしゃべりなたまごやき』の方は全然雰囲気が違っていますね。線ではなくて、色彩の本という感じで、とても官能的で……。この2冊の絵本の変化の意味みたいなことを、お聞きしたいんですが。
長 
ぼくは絵が、4、5回ぐらい変化してるんですけどね。意識的に変えたんじゃなくて、ひとりでに変わっていっちゃうんですよね。意識的に変えていくというのは、どこかうそっぽいっていうか、知らないうちに、だんだんに変わっていくのでいいんじゃないかと、自分では思ってるんですけどね。ただ、変わっていくときの谷間というか、脱皮する途中でブラブラしている感じが好きじゃないですね。振り返ってみると、そういうときの作品っていうのが、自分ではあんまり好きじゃない。

◇ドギマギしてしまう絵本
長谷川 
『おしゃべりなたまごやき』の改訂版の方ですが、保母になって絵本を見るようになってから、まだ1年もたたなかったころ、あの本を手にしたときは正直いって、最初、どう受けとめていいのか、ともかく色彩がすごく強烈だなって驚いたのを、よく覚えています。赤と緑と茶色がすごくて、ドギマギしてしまうような感じで……。だけど、何回か、子どもたちと読んでいるうちに、王様のキャラクターと、らっぱの〝タララッタ トロロット プルルップ タタター〟っていう音が絵と非常に合っているという気がしてきたんですね。子どもたちは、この本が好きで、何回も何回も読んだんです。そのうち、だんだん、最初のドギマギの感じが自分の中で薄くなっていって、ああ、これだ、これでいいんだという気持ちになっていったんです。それからは非常にいい気分で、あの本とつき合えるようになって、とっても好きな本になってしまいました。
長 
かく側としては、お話に対して、どういう基調色が合うかということを当然考えるんですよね。
長谷川 
今の若い保育者の人たちは、かわいい、やさしい絵本を好きな人が多いらしいんですが、確かに、そういう絵本というのは誰でも抵抗がありませんよね。でも、最初に抵抗を感じても、繰り返し子どもと見ていくうちに、徐々にわかってくるものがあるし、自分の感覚の幅が広がってくるんですね。
長 
ぼくだって抒情的なものを否定してるわけじゃなくて、その質が高ければ、かわいい絵だって、もちろんいいと思う。だけど、かわいいとか、叙情的なものというのは、質が悪くても、みんなに好かれやすい面があるので、非常に危険だと思うのね。

おしゃべりなたまごやき

(次頁につづく)

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