長谷川摂子さんと絵本作家

【第8回】いまき みちさん・西村繁男さん|何が本当に好きなのかって一所懸命考え始めたら、それまで嫌だと思っていたおふろやさんなんかが本当は好きだった

くずのはやまのきつね
自分は何が本当は好きなのか

◇大学時代にセツモードセミナーに
長谷川 高知のお生まれですね。
西村 はい。高校卒業するまで高知。
長谷川 小さいころから、絵はお好きでかいてらしたんですか。
西村 小学校時代は要するに暇があれば、好きで絵をかいていたという感じがあったんだけども、中学生になって、いい絵をかこうとか思い始めるでしょう。それで、かけないわけですよね。ノートとか教科書とかに落がきするぐらいで、いわゆる美術というような絵は殆んどかかなくなっちゃった。それからずーっとやらなくて、大学に入ってから、何かしたいと思ってね。
長谷川 大学では何を?
西村 商学部に入ったんですが、別に、そこで何かしたいと思ったんじゃなくて、東京へ行きたいと思ったのが先ずあって……。それから、自分はサラリーマンには向いてないと。それなら何をやりたいかと考えた時に、小さいころ絵をかいてて、いい感じで自分がかけてたなと思いだして、絵がかける仕事につきたいと思ったんですよね。大学のクラブ活動は、デザイン研究会に入って、3年生の時にセツモードセミナーに夜、行ったんですよね。そこで、イラストレーションの面白さみたいなことを知ってかいたんだけど、大学卒業しても仕事がなくて。

◇田島征三さんとの出会い
ちょうどそのころ、同じ高知の出身だということもあって、田島征三さんを知ったんです。高校の先輩になるんですけどね。それで、田島さんが、ベトナム反戦のパネルをかいて持ってくれば、誰でも野外展に出せるからどうだって。ぼくはほんとにノンボリだったから、ベトナム戦争のことなんて、ちゃんと突きつめて考えてたわけじゃないんだけど、一応反戦っていう気持ちもあるし、そこには、和田誠さんや長新太さんや井上洋介さん、田島さんも出してるし、じゃ、やってみるかって思って、パネルにかいて持って行ったら、合評会で、ぼくの絵はこてんぱんにやられたんですよね。要するにセツモードセミナー風の絵で、ショッキングピンクを使ったファッションみたいな絵だったからね。(笑)
長谷川 合評会には、和田さんや長さんなんかもいらしてたんですか。
西村 いや、作品は並べてあるんだけど、田島さん以外のそういう憧れの人たちは来ていなかった。それもショックだったんだけど、みんなから、ベトナムの建物はこんなじゃないとか、いろいろこてんぱんに言われたわけですよ。それで、ああそうかと思って、また次の野外展に出すまで、新聞のベトナムの記事を丹念に読んだりしてね。それから毎月1回、若いイラストレーターの卵の連中が新しい絵をかいて出すことになって、ぼくには、そこが本当の学校だったという感じですね。
長谷川 何年ごろのことですか。
西村 ぼくが大学卒業したのが1969年で、そのあとだから。
長谷川 じゃ、まだベトナム戦争も北爆なんかすごいころですね。いまきさんとも、そこで出会われたんですか。
西村 そう。彼女は殆んど出さなかったんだけど、ぼくは勉強だからと思って、夢中でかいてた。みんな若くて、お金がなくて、時間はたっぷりあった。そのうち、田島さんが紹介してくれて、いろんな出版社に絵を持っていったんだけど、どこでも、暗い絵ですねって、断わられてしまった。ぼくはもう反戦のことで頭がいっぱいになっていて、セツモードセミナーでやっていたことなんかコロッと忘れててね。(笑)ちょうど青年期特有の暗さみたいなものもあるから、ますます暗い絵になるんですよね。大友康夫君も仲間で、ぼくのことを気の毒がってくれて、ストーリーを作ってくれたんですよ。彼は福音館で、最初の絵本『あらいぐまとねずみたち』が出てた。その時まで、ぼくは単発の絵ばかりかいてて、物語絵本みたいな形ではかいてなかったんで、初めて、そういうのをかいてみた。
長谷川 それが『くずのはやまのきつね』ですね。
西村 そう。それを福音館に持って行ったら、やりましょうと言われて、最初の絵本の仕事になった。
長谷川 この本が出た時に、家の子どもたちに、しつこく読んでくれ読んでくれって言われたんですよ。確かに暗いか明るいかという尺度で言えば、暗い方かもしれないけれど、なんか泥くさいっていうか、ダサイっていうか、そういう感じがすごく懐かしいし、農民が必死な感じですよね。
西村 それは、ぼくが必死だったんです。(笑)
長谷川 この子たちが、どうしても今年の秋には米がとれなくちゃだめなんだという切迫感みたいなものが出てる。
西村 この本が出なくちゃだめだと思って必死。(笑)
長谷川 最後の、きつねの嫁入りの場面を、子どもたちはじいーっと見るんですよね。場面は幻想的な感じなんだけど、きつねが子どもを抱いていたり、小さい子も一緒に歩いていたり、きつねにはきつねの生活があるという感じで、「うわー、これ、きつねのお母さんだ。これは、おじさんかな」なんて、子どもたちは見てましたよ。
西村 今、泥くさいとかダサイとか言ったでしょう。ぼくは、それ好きだから……。
長谷川 私も好きなの。
西村 でも、高校生のころとか、大学に入ったころは、そういうのが嫌でたまらなかったんですよね。あとでかいた『おふろやさん』のような、ああいう世界、あの生活臭が嫌いで、もっとカッコイイ何かに憧れていた。
長谷川 それで、セツモードセミナー。
西村 そうね。田島さんの絵を見て、すごく勉強になったのは、かきたいということが、もう絵からとび出てるでしょ。それから、菅原君っていう若いカメラマンがやはり仲間にいたんだけど、日本の祭りを追ってあちこち旅ばかりしていた。そういうふうに、表現したいものを強烈に持っている。ぼくは、セツモードセミナーに行っていたころは、パターンに憧れて、表面的なところでやっていて、本当にそれをやりたいというものはなかった。それを否定して、おれは本当に何が好きなのかってことを一所懸命考え始めたら、おふろやさんとか、高知の日曜市なんかが本当は好きなわけよね。それまで嫌だと思っていたものがね。
長谷川 『くずのはやまのきつね』に、寝たきりのじいさまが出てきますが、豊作の祭りで、みんなの中で、いい顔をして笑ってるんですよね。それは、農村共同体みたいなものの厳しさと同時に、そういう世界の良さみたいなものを自分で味わった人がかいてるんじゃないかという感じで見たんです。それから、『おふろやさん』や『やこうれっしゃ』や『にちよういち』を見ると、人間を見る視線が温かいけれど、野太いっていうのかしら。西村さんに見られたら、カッコイイ若者も、おしゃれして気取っている女性も、田舎のおじいさん、おばあさんも、所詮は同じ人間同士、お互い、チョボチョボみたいな不思議な一体感を感じてしまうんですよね。私も田舎育ちで、都会風のセンスや山の手風の気取りとは縁がなかったのですが、西村さんは、頑固にそういうところを一貫させているというか、自分の中の生活感覚とか思想みたいなものとして絶対外さないでかいているというのがすごいですね。

(次頁につづく)

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