長谷川摂子さんと絵本作家

【第5回】中川李枝子さん・山脇百合子さん|早く大人になりたいと毎日一生懸命生活してる、それが子どもの本来の姿なんじゃないかしら

いやいやえん
少年文庫との出会い

◇母親と本のこと
長谷川 お母さんは、どっしり構えて……。
中川 母を見てると、子ども一人一人とつき合ってるのね。あなたは一番上だとか二番目ということは一切言わない。私とあなたという関係なんですよ。人間対人間。
長谷川 なんか考えが日本人離れしてますね。観念でなくて生活の中にそういう態度が徹底するって、凄いと思う。
本なんかよく読まれた方でしょうか。
中川 私が子どものとき、本をあっちこっちから借りてくるでしょう。そうすると、母はいつのまにか、ちゃんとそれに目を通している。で、あたくしはこの本はいいと思いませんよ、ってくるのよね。なぜいいと思わないかといえば、この話に出てくる人は、ひねくれてるから、とか理由は明解なんです。母はひねくれてるとか暗い話とか嫌いなのね。
山脇 私なんかは読みたいわけよ。吉屋信子とか、ああいう少女小説を。だけど、うちに一冊もないのよね。
中川 賢い女が出てこないからだめですって言われたの覚えてる。小川未明も嫌いなの。浜田広介を読んで、この人は頭が悪いと思いますよ、話のつじつまが合ってませんなんて言う。
長谷川 『子どもと文学』という1960年に出された本の中で、小川未明、坪田譲治、浜田広介、みんな吟味してバサリ……。
中川 うちでも母がそれをやってたんです。私こまってね。うちの親は子どもの本について何も分らない人だと。だから疎開して母から離れるときにうれしかったのよ。今度は公然と少女小説が読めるというので。

◇岩波少年文庫
長谷川 中川さんが15歳のときに、岩波少年文庫がおうちにそろって、兄弟で奪いあって読まれたそうですけど、15歳というと、だんだん大人にさしかかるところですよね、疎開なさって、お母様と離れて暮らして、そのあとで、教育だとか価値観だとかグルッと変わってしまって、信じられるものがなくなったときに、中川さんは、「人間性に目覚めること」という言い方をなさってたんですけども、そのことを一番直接的に与えてくれたのが岩波少年文庫だということ、『銀のナイフ』なんかを読んで、胸にストンと下りたような気がしたんです。
中川 ほかになかったのよ、面白い本が。ずばぬけて面白かったの。
長谷川 太宰治とか、ああいう文学よりも、人間性とかそういうものが、15歳の時期にピーンとくるということ、これぞ信じられるものというふうに、背筋のしっかりした児童文学が堂々とくる感じ、中川さんにすごくあったんじゃないかという気がするんですね。
中川 いい大人が出てくるというのが私にはとってもうれしかったのね。子どもは、いい大人になりたいという気持ちを持ってるのかもしれないわね、無意識の中でもね。少年文庫には私の目指すものがあったんです。15歳という年ごろのせいもあると思いますけどね。
長谷川 少年文庫の中でも特に面白かったというものがあれば……。
中川 私は『小さい牛追い』が好き。それから『ふたりのロッテ』『クマのプーさん』『ムギと王さま』、それから『くろんぼのペーター』。『あらしの前』もよかった。だめ、言い出したらずーっと……。全部面白い。
長谷川 少年文庫のあと、どんなものを読んだんですか。
中川 少年文庫と並行して、ヘルマン・ヘッセを読む時期とか、『ジャン・クリストフ』に夢中になったり、『チボー家の人々』とかモーパッサンにもすごく熱中しました。それから芥川龍之介、森鴎外、漱石、志賀直哉、有島武郎、永井荷風、小林多喜二、幸田露伴も大好きなのよ。子どもの本がない時代に育ってるから、家にある本、字が書いてあれば何でも片っ端から読んだんです。
長谷川 本について兄弟で話し合ったりもなさったんですか。
中川 こういう本を読んだというのが、その日の食卓の話題になるのね。いいものを読んでおかないと、取り上げてもらえない。
山脇 『キャピテン・フラカス』という、ゴーティエの長い小説がうちにあって、読んだら波乱万丈で、すごく面白くてね、言わずにはいられないのね。それでお母様に、読むたびに全部話してね。最後には、「ここ片づけなくていいから、終わりまで読んで教えてよ」って言われた。(笑)

◇『いやいやえん』へ
長谷川 
それからやや進んで、中川さんが保母学院に行かれたきっかけは?
中川 
父が「遺伝」という雑誌をとってたんです。時々私にもわかる面白い記事があるのね、タケノコアレルギーとか、筆跡の遺伝とか。あと、エリザベス・サンダースホームのルポとか。そこに、たまたま都立高等保母学院の紹介が載ってたんです。読んだら、学生たちがとても生き生きと楽しそうに勉強してるもんで、こんな学校いいな、と思ってたのね。まだ福島にいたころです。私、孤児院の先生になりたかったの。『あしながおじさん』を読んだからじゃないかしら。それから『ジェーン・アダムスの生涯』にもひかれて。社会福祉事業に乙女心で憧れたのね。施設の子どもってドラマチックで面白いと思った。そんなことから、そういう仕事はいいなという思いを抱いていたんですよ。それで、東京に移ってから、保母学院に入った。
長谷川 『いやいやえん』をお書きになる時期になるんですけども、書くということはそれまでは……。
中川 
得意だったんです。ちっとも苦じゃなかった。作文の時間なんか生き生きしてね。
長谷川 
主人公が子どもとか、そういうふうになってきたのは、やっぱり保育園にいらしたからですか。
中川 
それはね、同人誌に入って書かなくてはならなくなったわけ。その時に、もう保育園に勤めていましたから、子どもたちに話す話を書いたら、と言われて。同人誌に入ったのも、書きたくて入ったんじゃないのね。岩波少年文庫を編集している、いぬいとみこさんがいるというので入ったのよ。(笑)
長谷川 
もし入らなかったら、こういうお話なんか書かれなかったかもしれませんね。
中川 
書かないでしょうね。きっと。
長谷川 
あの『いやいやえん』は、子どもたちが手をつないで帰るんですよね。べつにお母さんが迎えに来ない。私、保育園に勤めながらそれを読んで、いいなあと思って。
中川 
最初は子どもたちが原っぱに来るから、婦人会が青空保育園というのをやったんですって。そこに参加してたはるのはるこ先生が、青空保育園が解体したあとを引きうけて、みどり保育園にした。一人じゃできないから誰か来てほしいというんで、学校に求人広告出して、それがよかったの。「求む主任保母」ときたから、私は飛びついた。主任になりたいもの。(笑)私にはこういう保育がしたいという理想がいっぱいあったから、主任にしてくれればもううれしくて。その頃は、私ほど優秀な保母はいないと思ってた。
山脇 
父親に似てるじゃない。
中川 
父親似ね。(笑)

(次頁につづく)

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