長谷川摂子さんと絵本作家

【第5回】中川李枝子さん・山脇百合子さん|早く大人になりたいと毎日一生懸命生活してる、それが子どもの本来の姿なんじゃないかしら

1986年4月から3年にわたって「こどものとも折り込み付録」にて連載された、故・長谷川摂子さんと13名の絵本作家の対話の記録を、1年間にわたって再録してお届けします。第5回は、子どもたちに寄り添って『ぐりとぐら』や『そらいろのたね』などの絵本、『いやいやえん』、『かえるのエルタ』などの童話を生み出した姉妹コンビ、中川李枝子さんと山脇百合子さんです。
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父親のこと

◇民主的で威張ってて
長谷川 お父さんが絵を描きながら、子どもたちにお話をして下さったという絵をかく帳面のエピソードを読ませていただいて、まるで『もじゃもじゃベーター』のホフマン先生のような方と、とても心ひかれました。お父さんの印象から語っていただけますか。
中川 うちじゃ、遊び相手とか勉強をみるとか、洋服着せるとか、お風呂に入れるとか、子どもの面倒みるのは父親の仕事だった。
山脇 そう。わりと楽ちんで点稼ぐようなことは父親の役目。
中川 それから、たくあん漬けるとか、何でもやりたがる。理論を戦わして。
長谷川 お母さんと戦わすんですか、たくあんについて。
中川 そうなんですよ。塩何パーセントかなんていうことで。そして最後は百科辞典を持ってこい、なのね。(笑)
長谷川 わあ、すごい。男子厨房に入るべからず、が当り前の戦前のお父さんとしてはとびきり珍しい方ですね。
中川 留岡幸助の影響を受けてるんです。北海道の家庭学校の創始者。『一路白頭ニ到ル』(岩波新書)というのを読んで、あ、これがわが家の家庭教育の源流だと分かったんです。
結局私たちは、こういう言い方しちゃいけないかもしれないけど、不良少年を「感化」するのと同じように育てられた。家庭学校というのは、三能主義といって、能く食べることと能く寝ることと能く働くこと、その三つが柱で、「家庭にして学校、学校にして家庭」というのがスローガンなんですね。だから私のうちというのは、学校みたいなとこがあったような気がする。
山脇 出席なんか、とられなかったけど。(笑)
長谷川 五人のお子さんを相手に、まるで先生みたいなお父さん。でも一方で遊んで下さる時はどんな風でしたか。
山脇 自分が一番勝つから、よくないのね。
中川 そう。遊んでくれるんじゃないの。私たちが遊びのお相手してるようなもんです。(笑)
山脇 トランプでもおはじきでもね、自分が一番勝っちゃうの。
中川 そう。そして必ず言うのはね、考えてやれということなのね。おまえが負けるのは考えないからと言うの。
山脇 それがいやらしいわね。
中川 いやらしいわね。何でもやりたいのね。べつに義務感とかじゃないんですよね。
長谷川 なんか底抜けに無邪気な所がおありになったんですね。それに、あっけらかんとした合理主義で、封建的なじめじめしている所が全然ない感じ。
中川 民主的だったかもしれないわね。だけど威張ってた。
山脇 威張ってるもんね。
長谷川 どんな威張り方なさるのか具体的に聞きたくなっちゃった。聞けば聞くほど楽しいイメージが膨らみそう。
山脇 やらせるの、好きね。
中川 妹が本ばっかり読んでたもんですから、父が心配して、自転車に毎日乗ることなんていうノルマを課せられましてね。
山脇 私と兄がヤギの乳が嫌いだったらね、一ヵ月の日にち書いて表にして、飲んだ日、丸つけなさいと言って、一回飲んだら一円かなんかで月末に精算するの。ごほうびが出る。兄は飲めるようになったんですけど、私はダメだった。

◇福島での生活
長谷川 でも、お父さんとしては、子どもの健康という正しい目的にむかっていつも堂々と……。ほんとに、一点、翳りもない教育者でいらっしゃったわけですね。お子さんとの絡み方がとてもユーモラス。それだけで児童文学の世界という感じですけど、そのうえ動物がいるなんて。ヤギ以外にも動物なんかたくさんいたんですか。
中川 私たち戦後、父の仕事が福島の蚕糸試験場の支場になったもんですから、終戦直後からそこに六年半いたんですよ。そのとき自給自足というのかしらね……。
山脇 蚕糸試験場全体がそうだったのかしら。麦畑があったでしょう。
中川 広かったのね。他に桑畑も持ってるんですよね、蚕糸試験場が。そこに畑も作って……。
山脇 そう。桑の畝の間においもがあったような気がするけど、そういうのは自分ち用なのね。
中川 父はね、野菜つくりなんか始めると、またそれが面白くなってしまうのね。おいもでも、キャベツでもね、その辺のお百姓さんより自分の方が上手だって言うの。
山脇 そう言わなければ奥ゆかしい。
中川 セロリとかね、あの頃珍しい野菜をどんどん植えてましたよ。
動物もね、父に言わせれば、情操教育上飼ってると言うのよ。姉はヤギなのね。私が鶏で、弟がウサギで、あなたはいないのね。
山脇 でも、猫がいた。
中川 そう。猫の世話ぐらいしてたけどね。一番かわいくないのは鶏なの。
長谷川 お話を聞いていると、リンドグレーンの『やかまし村』とか、ハムズンの『小さい牛追い』の世界なんか連想しちゃいますね。教育者のお父さん、というのはちょっと違いますけど。
中川 鶏のえさをやるの忘れたりすると叱られてね。私はえさやるまでご飯食べさせてもらえない。鶏の気持ちが分かるだろうって言われて。(笑)それから、菜っ葉の切り方なんか私、雑でしょう。そうすると、鶏がこんなに大きな葉っぱが食えるか、なんて言われるわけね。学校の先生みたいでしょう。
山脇 でも、学校の成績のことやなんかは言われないのね。
中川 何しろ情操教育の方が大切なんです、父にとっちゃ。鶏もね、卵を産まなくなると、食用になるんですよね。ひねるのは父がやるの。そこは見せないの。毛も全部むしっちゃってから呼ばれるの、子どもたちみんな。
長谷川 ひねるのを見せない、というのが、お父さんにとって子どもと大人の限界だったんでしょうね。その辺の考え方も興味がありますね。
山脇 毛を焼くのにサッとあぶるとこから見たわね。
中川 みんなを周りに集めて、解剖用のセットを一式出してきて、出刃包丁があって、お皿が置いてあって、腑分けが始まる。切って、みんなに見せるわけ。
山脇 卵のもとみたいな黄色いのがあって。
中川 何とよく出来てることか、なんて言いながら、(笑)感激しながらレクチャーするんです。そして、夜は鶏鍋なんてするのね。そうするとみんなで、あ、これは卵だとか、これは何とかだなんて言って復習しながら食べるのね。
あの生活、よかったわね。今思うと。
長谷川 山脇さん、ちょうど小学校時代をそこで……。
山脇 そうです。幼稚園に入る前と、幼稚園の一年間と、小学校の四年間とちょっとね。
中川 あなたたちなんか、ほんとにいいご身分ね。全然生産活動には参加しない。
山脇 でも、ほら、いも掘りに行って…。
中川 いや、あなたたちは遊びに行くんだもん。
山脇 そう。それで生まれて初めて落とし穴に引っかかったの。この人たちが犯人で。
中川 そうそう。落とし穴作るのが楽しくてね。
山脇 うまうまと引っかかっちゃったの。「おいで」なんて言うから行ったら落っこっちゃった。

(次頁につづく)

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