長谷川摂子さんと絵本作家

【第4回】林明子さん|理屈じゃなくて、体の毛穴で感じられるような絵をかきたい

おふろだいすき
抱きしめたくなる子どもをかきたい

◇子どもはきれい
 ドストエフスキーがね、子どもというものはぜんぶとても美しい。醜い子どもって見たことがないって書いてるんです。子どもの顔って、きれいですものね。一番の美人でも、赤ちゃんにはちょっとかなわないという感じ。
長谷川 赤ん坊の表情にうたれる感じって、なんて言っていいのか―自分が、なんか深い静かな所へひきこまれるようで……。
 生まれたての弟が家で寝ていた日のことなんですけど、弟の隣に二つ年上の女の子、つまり私の妹が寝ていたんです。それを見ている九つぐらいの私は、弟の、新鮮なちっちゃい顔がすっかり気に入って。弟の方はほとんど筋のような小さな目をつぶっていて、隣の女の子はつぶった目が大きい。やっぱりその分、年をとってる、と思っちゃったんですね。そう思ったこと自体、妹にちょっと悪いなって後ろめたかったのを覚えてる。
長谷川 林さんの子どもを見る目って、昔から凄味があったのね。
今度、林さんの赤ちゃんの絵本ができて、私、あちこちに持ち歩いて読み聞かせをしてるんですけど、四冊のうち、いつも最初に「おつきさまこんばんは」を読むんです。最初に表紙をみせて、「お月さま、おめめつぶってるね」、次にパッと裏表紙をみせて、「パーッ」ってやる。そうするとすごく喜ぶ。
 あ、私もそれが狙いだったの。少しパッと驚かしたくて……。姪が赤ちゃんの頃、隣に住んでたもんだから、月が出た時、抱っこして外へ出て、月が屋根から昇ったばっかりの時に前へ進むと、月は隠れちゃう。ちょっと下がるとまた出てくる。何回も「こんばんは」って下がって、「さようなら」って前へ出たら、とっても喜んで、その遊びをしょっ中やってたんですね。それを絵本にしてみたんです。
長谷川 赤ちゃん絵本って、ストーリーはまだわからないから、という前提で作られることが多いんだけど、林さんの絵本にはちゃんとドラマがある。「あんよが出ない出ない」と気をもませて、次のページで「あっ、出た!」って叫ぶ。そのたびに子どもの心がリズミカルにゆれて……これ立派なストーリーですよね。
 姪や甥のお守りをした時なんか、セーター着る時いやがるんで、「ホラホラ、お手てが出てくる、ホラ、出てきた、こんにちは」というふうにやってたんですね。
長谷川 私もよくやった。足をつかまえて「トンネル、トンネル」って引っ張って、「出たーっ」と言ってズボンから出してやったの。そういう親子の現実の遊びともすんなりつながっているから、赤ちゃんが絵本の中にすっと入ってくる。
 あれ、自分がやられたの、覚えてるの。すごくいい気持ちね。
長谷川 不思議な記憶力。でも、ほんとに覚えているかどうかというより、覚えてるって、いつも思っていることが、きっとすごいことだと思うの。身体の奥でそういう感覚をいつも確かめてることになるでしょう。そこのところが林さんの子どもの絵の生命感とつながってるかもしれないわね。
 この絵本、赤ちゃんのいる現実はもっとグチャグチャしていてこんなに穏やかじゃないと言われたりするんですけど。
長谷川 本だもの。現実と繋がってはいても、現実からふっと浮いてて、そこで自由さを楽しんでまた現実に帰ってこられる……。
 本の世界と現実の世界との違いを知りつつ、本の世界を現実として感じる能力というのは、人間の能力ですものね。そういうののいっとう最初という感じが赤ちゃん絵本にあったらいいですね。

◇毛穴で感じる
 堀内誠一さんとの対談(9月号)に出てきた「官能的」という言葉、すごく気に入ってしまって……。私はね、理屈じゃなくて、体の毛穴で感じるような絵をかけたらいいなと思っているんです。絵から、その子を抱きあげた時の重さとかぬくもりとか、もしかしたらちょっと身じろぎする感覚とかが想像できるような。
長谷川 ほんとにそのものズバリ、林さんの絵ってそういう感じがある。子どもって、やっぱり抱きしめたい。
 それから匂いも好き。だから子どもをかくときは、視覚だけじゃなく、官能的皮膚感覚ぜんぶで感じられるようにかきたいの。
長谷川 「マザーグースの唄」の一つに、「バンティング」(bunting)という言葉が出てくるんだけど、それは、赤ちゃんの、何とも言えない丸々としてプリッとして重みのある感触を言うんですって。
 ああ。赤ちゃんのバンティングが好きなの。私、赤ちゃんのちっちゃい足の裏をほっぺたにつけたりする。
長谷川 私もよくする。友だちの家に五ヵ月ぐらいの赤ちゃんがいて、疲れると会いに行くの。赤ちゃんの隣に横になって、顔を見合わせて、にこっと笑ったりして。あんなにいい気持ちになって帰れること他にない。
 ほんとに平和の源という感じ。だけど赤ちゃんって、怖いというところもある。昼寝をしてる時に、赤ちゃんがハイハイしてこっちに寄ってくる夢を見たんです。赤ちゃんの息づかいってハアハアしてるでしょう、ハイハイしてくる時なんかとくに。その息づかいがどんどん近づいてきて、こっちは身動きができなくて、赤ちゃんが私の上に来るんじゃないかって怖くて怖くて。目が覚めたら、ハッハッという息づかいや赤ちゃん独特の感触とかがまだ生々しく残ってて、冷や汗というか脂汗が出ていたんです。どうしてあんなに怖かったのかわからないけど。
長谷川 赤裸の命という感じがするのよね。命があるということ自体があらわに見えると不安になるの。最初の子どもが生まれた時、やっぱり怖かった。はじめて自分の子を抱きあげたら、首筋に赤ん坊の息がふっとかかったの。うわ、生きてるっと思ったのね。その時のぞくっとした感じ、忘れられない。病気になれば、死ぬんじゃないかと思ったり。でもね、四人目ぐらいになると、あんまりそういう感じがなくなってきて、大丈夫、死なないって。(笑)
 直接触れ合うと、怖いのかもしれない……。
長谷川 林さんの、そういう官能的な面と、心理的に文章にものすごく感情移入しちゃう面とが一つになってるから、林さんの絵って奥行きがあるのね。外面的な一種の感触のかわいさとかじゃなくて、キューンとその子の心の中に引きこまれるような……。
子どもを見てて、ああ、林さんの絵みたい、と思うと子どもがすごくかわいくなるの。だいたい林さんの絵本を見ている母親は、みんなそういう気持ちになるみたいだけど。(笑)
だけど親だけでなく子どももそんな官能性を感じてるみたい。例えば『おふろだいすき』の最後のページ。子どもが髪を洗ったあとで、「おふろだいすきみたいにして」って言うのね。髪の毛がなるべく立つようにクシャクシャとふいてやると、「タオル」と言って絵と同じように身体にタオルを巻いて鏡の前に行って立つの。そしてフフフって笑う。そういうのが絵本を読んだあとの表現なんじゃないかしら。
 やっぱり毛穴で感じるのね。

あかちゃんえほん

(次頁につづく)

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