長谷川摂子さんと絵本作家

【第3回】片山健さん|幸福というのは、大人になっても自分の子どもをどんな形で持ち続けていられるか……にかかっている

katayamaken_3大好きな絵本たち
◇“でたらめ”のこと
長谷川
 片山さんはどんな絵本がお好きですか。
片山 『3びきのくま』という絵本が大好きなんですけど、あれはお話としてはなんだかぜんぜんわかんないんですよね。女の子がふらふらっとくまのうちに来て、おかゆ食べたり、イスこわしたり、寝たりしてさっさと逃げちゃう。
長谷川 それをくまは窓から唖然として見ている。(笑)唐突といえば唐突だけど。とにかくミハイル・イワノビッチなんて名前を言うだけでも楽しい。
片山 名前読むだけで快感がある。好きな絵本って、なぜいいかって聞かれてもなかなか理由が説明できないんですよね。
長谷川 『ぞうのババール』(評論社)なんかでも、お話はめちゃくちゃだけどおもしろい。話の起承転結がはっきりしていることがよい絵本の基準みたいに言われることが多いんだけど、子どもって、そうじゃないんじゃないかと思うことも多いですよね。
ババールの絵本なんかページをめくると、突然王さまがきのこを食べて死んでしまっていたり、川を渡っていった先が突然砂漠だったりする。(笑)
片山 でも納得しちゃうでしょ?
長谷川 めちゃくちゃでも、ババールの資質なり世界なりの破綻のなさが、めちゃくちゃさを生き生きさせてる、と思うのね。スズキ・コージさんの絵本なんかにも思うんだけど、世界が完璧なの。スズキ・コージ流に、世界を創る想像力が全てを支えてしまう。この中では何が起こっても納得しちゃう。
片山 ナンセンスっていうことばがあまり好きじゃなくてね。ちょっと知的な感じがして。でたらめっていうのが好きで。知的なことよりももっと深くて大きくて子どもっぽくて……。スズキ・コージの絵なんかもう、それこそ祝福されたでたらめって感じで、うらやましくてしょうがないんですけどね。
長谷川 たしかにナンセンスっていうと、イギリスのアリスみたいな方のニュアンスが強くなっちゃうから。
片山 でたらめっていうと、根こそぎひっくりかえしちゃうような凄さがあるような気がして……。 土方久功さんの『ゆかいなさんぽ』『ぶたぶたくんのおかいもの』も好きなんだけど。
長谷川 『ゆかいなさんぽ』の「とらってしってるでしょ?どうぶつえんにいるじゃない」という文章、こういうのはなかなか書けるものじゃない。
片山 それから『ぶたぶたくんのおかいもの』の「いけにさかながおよいでたっけ、あたまのうえにへりこぷたーがとんできたっけ」っていうの。まいったなーという感じで、すごいですね。
長谷川 ほんとに幼児性が純化されてちゃんと残ってる。これなんか土方さんが六十歳すぎて描かれた絵本なんでしょう?感動的な幼児性ね。
片山 幸福というのは、大人になっても自分の子どもをどんな形で持ち続けられるか……にかかってるように思うので、一見へたそうな絵にしても幼児性が純化されて残ってるというのは大変なことですね。

◇『せきたんやのくまさん』のこと
片山 『せきたんやのくまさん』も好きなんです。このくまさんのお父さんとお母さん、死んじゃったのかしら、といつも思うんだけど。
「あるところに、せきたんやのくまさんが、たったひとりですんでいました」からはじまって、ぬいぐるみのくまが一人でベッドで寝ている。それから荷馬車に乗って、石炭をあちこちへ配ってお金をもらう。そして馬をパカパカ走らせて家に帰って寝る、という一日を描いた絵本なんだけど。くまさんの家の壁に、幸福だったころの親子の写真なんかがあったりするのね。親の外套のようなものもぶら下がってはいるんだけど、親がいるようには思えなくてね。くま本人は、よるべないとか意識はしていないんだけど、この絵見てると、くまが、おそろしくよるべない感じがするんですよね。抱きしめてやりたいような気がする。ぬいぐるみなんか出てくるの、あんまり好きじゃないんですけど、これは好きですね。
長谷川 子どもってそういうの、すごく気になるのよね、一人なの?ってね。
片山 この絵本は読んだあと、ずうっと心に残って、うちじゅうみんな好きですね。

◇『かあさんのいす』のこと
片山 どれか一冊絵本を挙げてほしいと言われると、この三年間はずっと、ベラ・ウィリアムズの『かあさんのいす』(あかね書房)にしています。女の子と、レストランで働いているおかあさんと、おばあちゃんの三人が、ビンの中にお金を入れてためている。それがいっぱいになったところで、とてもきれいな椅子を買うという話なんだけど、日本を舞台にすると、ちょっと違う感じになっちゃうでしょうね。よく見ると、三人の暮らしなんか、とても貧乏なんですね。これは、いわゆる絵本的なストーリー展開とちょっと違いますが、切実な思いを感傷におちず、みごとに絵本化していて。この話はある程度、この画家の体験かもしれませんね。
もとは知らないけど、ことば読んでると、佐野洋子さんの訳はいい訳なんだろうなと思います。「ずっとまえの火事でいすはやけちゃいました。……ずっとまえって、そんなまえではありません」というのも、火事のあと近所の人たちが親切にしてくれたのに対して「“ごしんせつに、ほんとうにごしんせつにありがとう。まだまだわかいから、これからよ”とおばあちゃんはご近所の人たちにいったので、ご近所の人たちはパチパチと手をたたきました」というところも、いいんですよね。
とにかく画面全体への愛情のかけ方はただごとじゃない。ふつうこれだけやっちゃうと壊しちゃうんだけど……。一番大事な体験を描いたっていうのが伝わってくる。お母さんが仕事から帰ってくると、足をわっと開いて、うたたねしたりしててね。
長谷川 ふつうはこういうふうにお母さんを描くと、母親を皮肉な目で見るトゲのようなものを感じさせるけど、それがぜんぜんない。ありのままで愛されているって感じね。
片山 これを見つけた日は、新宿の本屋に子どもの本の国際的な賞をもらった本がばーっと並んでいて、どれもちっともおもしろくないし、当然自分のなんか一冊もないから引っくりかえしてやるか、という気分の時にこれがパッとあって、びっくりしちゃって。引っくりかえさないでよかった、やっぱり立派なものはあるなーとね。
この本見たらね、「コッコさん」描くとき、小都子のこと、頭ん中でこれ以上愛せないくらい、一所懸命、小都子小都子と思いながら描いてるつもりなんだけど、愛のきびしさみたいなものが、ぜんぜん違うなー、とそうとうショックだったんですよ。

(終り)

※()がない作品はすべて福音館書店より刊行。
※対談の記録は、掲載当時のものをそのまま再録しています。
オレンジ罫線2ンタビューを終えて-長谷川摂子
“コッコさん”に注がれる片山さんの眼には深い愛情があります。その深さは観念ではなく、子どもとともに暮らしているひとりの大人の生活感そのものともいえましょう。そこでわたしは片山さんに一方的に限りない連帯感を抱いていました。思ったとおり、片山さんは肩肘はらず、お子さんのこと、ご自分のことを何のてらいもなく、まるで十年の知己を相手にするように気さくに話してくださいました。わたしはつい、話にひきこまれ、テープがまわっているのも忘れ、安心して勝手なことをいい、片山さんのユーモラスな語り口に手放しで笑ってしまいました。 もう一度、絵描きになりたいと、今、思っている、という片山さんの言葉は強烈でした。あらためて片山さんの作品のみずみずしさを思い浮かべながら、インタビューを終えた今、わたしはもう一度何になろうとしているのかと、いささか辛い自問を強いられています。オレンジ罫線2

270片山健片山健(かたやまけん)1940年〜
東京都生まれ。1960年代に『ゆうちゃんのみきさーしゃ』『もりのおばけ』を制作後、10年数年絵本制作から離れ、幻想的な鉛筆画を描き続ける。自身の子ども誕生後、ふたたび絵本制作を開始する。代表作に『おなかのすくさんぽ』「コッコさん」シリーズがある。最新作に『こっちん とてん』(こどものとも0.1.2./2016年5月号)がある。

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