長谷川摂子さんと絵本作家

【第1回】筒井頼子さん|母としての緊張感と、書かずにはいられない作家としての切実さ

子どもたちからの贈りもの
◇自然への飢餓感
長谷川 子どもをもって、はっきり変わったのは自然に対する目。子どもと一緒に自然がぐーんと近づいた感じなんだけど、筒井さんはどうですか?
筒井 私の場合も、ほんとうにそう。それまでは、それほどに思わなかったのに、子どもを育てる時、自然への飢餓感がすごくあったんですね。主人の実家で暮らしていましたから、そこは木もなくて、草もなくて、まっ赤なお日さまも見えなくて、川もなくて……見えないものばっかり!(笑)私がこの家で過ごす以上、子どもは何も見えないまんまで育つんだわ、と思ったら、自然への飢餓感がますます強くなって。それで、お母さんが小さいころはこういう木があってね、こういうふうにして遊んでいたよ、と話をしながら、自分がかつて親しんだ自然を、ありありと目に浮かべるようになったんです。子どもたちに、少しでも自然に近いところにいてもらいたい、と思って。なるべく緑のあるところに連れだそうとしてた。子どもたちは道端のアスファルトの、ほんのちょっとしたすきまにたんぽぽが咲いたりすると、「私たちのお花畑にお花が咲いたわ!」と叫んで(笑)、おままごとを始める。私はそのことを喜びながら、すごく切なかった。 それが今、たまたま仙台へ転勤で来て、いたるところに自然があるでしょう?神の恵みだとしか言いようがないくらい、うれしい。 自然とか、自分の生まれ育った環境へ自分を戻していった力というのは、やっぱり子どもが一番大きかった、という気がしますね。
長谷川 ほんとに、子どもの時は、なんとも思ってなかった木なんかを、ありありと思い出したりするのね。あそこに、あんな木があった!と。で、田舎へ帰ってみてその木が切られてしまっていたりすると、自分が迷子になったような気がする……。

◇子どもに遊ばせてもらって
筒井 それから、安心して、自然の中にいる状態を楽しめるようになったのも、やっぱり子どもを生んでからのような気がするんです。例えば、バッタやチョウチョを追いかけてみたり、花をじいっと見てたりするのが、子どもと一緒だったら、ぜんぜん恥ずかしくない。ところが、子どもと一緒でない時には、どこか躊躇するものがあるでしょ? いい大人が何やってるんだと思われやしないかっていう感じが。子どもを通じて、大人になってしまった自分が、子どもの時のように、むしろそれ以上に自由に、遊ばせてもらっているっていう感じが、すごくある。
長谷川 まったく同感。子どもと一緒に声を出したり、走ったり、体を使って、肉体的にももう一度その楽しさを味わうことができる。子どもが一緒にいると、跳んだり、はねたりできるしね。
筒井 恥ずかしがらずに、踊ったりもできるでしょ?
長谷川 そうそう(笑)。それは、じつにありがたいことよ。夕方、一歳ぐらいの子どもを抱いて、外へ出てね、「のんのんさーん」って、大きい声出せるじゃない?雪が降れば、「雪こんこん」って、歌いながら歩くしね。
筒井 よく、子どもほど幸せなものはない、とか言うでしょう? あれ、ぜったいうそだと思うの。子どもほど、かわいそうな存在はないって。私にとっては、子どものころってそうだった。大きくなればなるほど、大人になればなるほど、息をするのが楽になった、っていう感じがある。
長谷川 確かに、幼児の時期をぬけ出ると、とくにそんな感じがする。わが子を見ていても、「大きくなったら楽になるよ」って、声かけたくなることがあるのよ。
筒井 楽になった状態で、楽しさだけをもう一度受けとることができるなんて、こんな幸せなことってあるかしらって思うの。 絵本との出会いも、そういう意味で子どもを通しての感動的な出来事だったと言えると思う。子どもの本って、どこかですごく救ってくれるところがあるでしょう?心がすごく病んでいたりする時にでも、元気をつけてくれるような感じ……。生きることはやっぱり楽しいことなんだっていうことを信じさせてくれるような力って、あるでしょう? 子どもの本についてのこういう体験も、もし子どもがいなかったら、私は味わうことなく過ぎていってしまったかもしれない。

◇子どもを見る目
筒井 
自分の子どもを契機に、他の子どもに目が向いて、他の子どももかわいがれて、そのことが楽しい。前よりは恥ずかしがらないで見ていたり、話しかけたりできるようになったもの。
長谷川 私は、子どもを見るとすぐ友だちになりたくなって、誰彼なしに声をかけちゃう。というより、もう友だちの気になっちゃう。
筒井 私は、まだそこまでは、いけないけど……。
長谷川 私、子どもにはすごく押しつけがましいの。知ってる子の弟が三歳ぐらいの時、むこうは私のことを知らないんだけど、私はその子の名前を知ってて、会えば話しかけてたのね。そしたらある時その子が私を見つけて、「また、あいつが来た。あいつが来るとやばいんだよな」って言ってるのが聞こえて、家へ帰って腹かかえて笑っちゃった。(笑)今はその子、小学校三年生なんだけど、私のこと最初“くそババァ”って言ってて、そのうち“バア”になって。だんだんその“バア”って言うのが、何とも言えず、あったかい感じで言ってくれるようになってね。私もつい嬉しくて、「バアはね」って話しかけたりして。(笑)もう、そこまでくればこっちのもんよ。とにかく、私は自分の子どもに限らず、子どもの近くにいたいのね。
筒井 うちは今、下の子が小学校四年生で、私と一緒に遊ぶのにギリギリの年齢なのね。この子がつきあってくれなくなったら、ひとりで月に向かって、「お月さまいくつ?」って歌えるかなあって思う。歌えたら最高なのに。せっかく大人になって、子どもを通して、こんなに楽に遊べるようになったんだもの、私、不良ばあさんになろう!(笑)
いもうとのにゅういん3

(終り)

オレンジ罫線2ンタビューを終えて-長谷川摂子
インタビューを終えてから一週間ぐらい、筒井さんのぴんと張った美しい絹糸のような声がたえず耳もとで響いている思いでぼーっとしていました。 母親としての不実感という言葉で、ものを書く自分を韜晦していらっしゃいますが、私はかえって、その言葉の中に母親としての緊張感を感じてしまい、ひるがえって筒井さんの書かずにはいられない作家としての切実さが胸に迫りました。書くという行為が人生の中でこんなに美しく露出してみえることは少ないのではないでしょうか。 ともあれ、筒井さんと話した数時間の楽しかったこと!筒井さんは文字どおり、語りの達人でした。秋田でお母さんが見たという人魂の話など、悠揚迫らぬ静かな口調に、いい知れぬ妖気が漂い、私は完全に魅入られてしまいました。オレンジ罫線2
筒井頼子(つついよりこ)
1945年、東京生まれ。埼玉県立浦和西高校卒業。広告会社などに勤務後、絵本、童話を書く。月刊絵本「こどものとも」では『はじめてのおつかい』『あさえとちいさいいもうと』『いもうとのにゅういん』『とん ことり』などがある。

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