母の友タイアップ「こどものとも」の礎を築いた作家たち

西村繁男さんと『やこうれっしゃ』

0922.IN01絵本『やこうれっしゃ』は36年前に刊行された「文字のない絵本」です。東京、上野発の列車に乗った人びとは、それぞれの車両で思い思いに夜を過ごし、朝が来て、列車は石川県、金沢駅に到着する。最初のページに描かれた親子の姿を探すもよし、各車両でくつろぐ人たちの姿を仔細に眺めるもよし、楽しみ方は自由です。
「母の友」4月号の特集「こどものともの世界」では、近年人気の乗り物絵本『でんしゃにのったよ』の作者、岡本雄司さん(1971年生まれ)がこんなふうに書いていました。「(大人になってから)『やこうれっしゃ』と出会い、衝撃を受けました。まさに自分の大好きな鉄道の旅の景色がそこにありました」と。今回は絵本『やこうれっしゃ』の作者・西村繁男さんを訪ねます。

――今日は『やこうれっしゃ』のお話を聞かせてください。実は「母の友」4月号で岡本雄司さんが(かくかくしかじか)。
西村さん そうですか。わあ、それはありがたいな。ただ……。

――どうか……なさいましたか?
いや、ほめていただいたことは本当にうれしいんですよ。でも実は、ぼく「乗り物好き」ってわけではないんです……。申し訳ない……。あの絵本も「電車に乗る人たち」を描きたいなと思って作ったんですよ。

――いや、申し訳ないだなんて。岡本さんもそんな人々の旅の時間が描かれているのが最高と書いておられましたし。
ああ、なら、よかったです。ぼくは『やこうれっしゃ』の前に『おふろやさん』という絵本を描いていまして、その発想の延長で生まれた作品なんですよ。

――『おふろやさん』(「こどものとも」77年11月号)では、人々が銭湯に入って、出てくるまでの様子が描かれます。こちらも文字のない絵本ですね。
そうです。ぼく、物語を考えるのが苦手でして。初めての絵本『くずのはやまのきつね』(「こどものとも」74年10月号)でも、どうもうまくいかなくて、見かねた友人の大友康夫くん(「くまくんの絵本」シリーズなど作品多数)が文章を手伝ってくれたくらいなんです。

――そもそも絵本を作ろうと思ったのはどうしてだったんでしょうか。
田島征三さん(絵本作家)の影響ですね。ぼく、もともとは「おしゃれな絵」を描きたいと思っていたんですよ。高知県の高校を出て、東京の大学に出てきたのが、60年代の半ば。その頃「イラストレーター」という新しい仕事がでてきて、和田誠さんや横尾忠則さんが大活躍していました。時代の最先端を行くかっこいい職業にぼくもつきたい。そんなミーハー心を抱いて、大学3年から絵の学校に通い始めました。

01――大学はやめたんですか?
いえ、ちゃんと卒業しました。と言っても、大学卒業の年が1969年、学園闘争の真っ最中でしたし、就職する気はありませんでした。イラストレーターとして、おしゃれな絵を描いて生きていけたらいいなと思っていました。

――絵は子どもの頃からお好きだったんですか?
はい。小学生時代によく描いていました。ぼく、こつこつやるのは得意でして、東京で通い始めた絵の学校でも、当時の流行にあわせたイラストレーションをがんばって描いて、一応、特待生っていうのにもなりました。でもね、そんな頃、田島征三さんに会ったんです。田島さんはぼくの高校の先輩にあたりまして、友人の紹介でお会いすることになったんですが、「絵の学校、やめちゃえ」って言うんです。

03――やめちゃえ……。なぜですか?
「他人に合わせた絵を描いたってつまんないよ」って。ちょうどその頃、田島さんは絵本『ふるやのもり』(「こどものとも」65年1月号)を出して、荒々しいタッチの絵でイラストレーションの世界に衝撃を与えていました。田島さんという人間性をまるごとぶつけた魂の絵。そうか、絵ってこういうことか、と。ぼくはそれまで「世間の流行を察知し、それに合わせた絵」を描こうとがんばっていました。でも、そうじゃない絵もある。そして、ぼくらしい絵ってなんだろう、ということを初めて考えるようになりました。いろいろ試行錯誤するうちにわかってきたのは「自分は“おしゃれな場所”より、生活感が漂う“ふつうの場所”にいるときのほうが落ち着くな」ということでした。つまり「ださいほうが好き」と気づいたわけです(笑)。

――そう気づいたとき、ショックはありました?
いや、全然。むしろすっとしました。よかった、自分に向いているものがわかったぞ、これで絵が描ける、そんな気持ちでした。その頃、ご縁があって福音館書店を訪ねていきました。田島さんも「絵本はおもしろいぞ」と言っていましたね。そしたら、ぼくの「おしゃれじゃない」作品を見てくれた編集者の関口展さんが「絵本を作りましょう!」と言ってれて(笑)。それで初めての絵本を出せることになったんです。一作目は先ほども言ったように大友くんが助けてくれたのですが、次もというわけにもいかない。どうしようかな、というときに、五十嵐豊子さんの『えんにち』という絵本を知りました。

現在、制作中の『あからん』。現在、制作中の『あからん』

――字のない絵本ですね。
こういうのもあるんだ、ぼくもやってみたい、と思いました。字がないと「読めない」、と言う方もいるけど、字がない分、じっくり絵を見られるという利点があると思うんです。ぼくはちまちま細かい部分を描くのが好きだから「絵で語る」というのは向いているかもしれないぞと思いました。そんなあるとき、仲間との合同展覧会に「銭湯の絵」を描いて出品したら、やはり関口さんが見に来てくれて、これで絵本を作りましょう、と。それで『おふろやさん』が生まれました。『やこうれっしゃ』も実は関口さんのアイデアに基づく作品なんです。

――どちらの作品も本当に丁寧に描かれていますね。描くのに長い時間がかかったのでは?
取材はそうでもなかったかな。夜行列車に乗ったのは数回だったと思います。お客さんの様子を見て、こんなふうに寝てるんだな、とメモみたいな小さな絵をささっと紙に描いていました。それをもとに、下絵を描いて……。本番の絵は、そうですね、忘れましたけれど、完成まで2年くらいはかかったんじゃないでしょうか。あの頃は他に仕事もなかったし、とにかく一生懸命に描きました。鉄道が好きな方は列車の細部もご覧になるでしょう。間違いがあると申し訳ないからと思って、列車の設計図を手に入れて、電車もできるかぎり正確に描いたつもりです。

――登場する人たちの数もすごいですね。描くのはたいへんだったのでは?
まあ、たいへんはたいへんですけど、楽しかったですよ。ぼく、子どものころから人の様子を見るのが好きでしてね。工事現場なんか、じいっと見ていました。大人になってからも、知らない駅でぶらりと降りて、人々の営みを眺めて歩くのが大好きだった。ただ、「人が好き」と言っても、人づきあいは苦手で。相手とちょっと距離をとって見ているのが好きなんです。ぼくの絵本って『絵で見る日本の歴史』とかもそうだけど、ひいた視点のものが多いでしょう? たぶん性格が反映されてるんじゃないですか。自然とそうなっちゃう。

近所の子どもたちと世間話近所の子どもたちと世間話

……インタビューの続きは「母の友」10月号に掲載しています。あわせてお楽しみください。

にしむらしげお
1947年高知県生まれ。中央大学商学部、セツモードセミナー卒業。紹介した以外にも『ぼくらの地図旅行』『絵で読む広島の原爆』(共に文・那須正幹)、『もうすぐおしょうがつ』(以上福音館書店刊)など作品多数。

写真・浅田政志