母の友タイアップ「こどものとも」の礎を築いた作家たち

さとうわきこさんと『せんたくかあちゃん』

0897.IN01さとうわきこさんは人気絵本「ばばばあちゃん」シリーズの作者です。でも、「こどものとも」における最初の絵本は「ばばばあちゃん」ではありませんでした。その作品は『せんたくかあちゃん』。なんでもかんでも、ごしごし洗ってきれいにしてしまう、パワフルなお母さんが主人公の物語です。

――今日は、1978年の絵本『せんたくかあちゃん』についてお話を……
わきこさん あれ? 1978年でしたっけ? 『せんたくかあちゃん』ってもっと前じゃない?

――「母の友」にカラー童話として掲載されたのは1970年8月号でした。
そうそう。もともと「母の友」に書いたのよね。それで「こどものとも」になったのが78年か。

――ちなみに、わきこさんの作品が、最初に「母の友」に載ったのは1968年9月号でした。『てんぐのきせる』という昔話ふうのお話。
そのとおり。でも私の名字が「さとう」じゃないのよね。絵も別の人が描いた。

わきこさんが主宰する「小さな絵本美術館」岡谷本館には、「ばばばあちゃん」のパネルがわきこさんが主宰する「小さな絵本美術館」岡谷本館には、「ばばばあちゃん」のパネルが

――わきこさんは、このときすでにフリーランスの画家、でしたよね?
うん。もともとデザイン会社に勤めていたんだけど、その頃にはやめていたと思うな。絵描きになろうと思ったのは、デザイン会社時代に寺村輝夫さん*1と出会ったおかげです。寺村さんが勤めてらした出版社から雑誌のイラストの仕事をいただいてね。やってみたら面白くて。ほかにも絵を描く仕事はないでしょうか? と尋ねたら「まずはスケッチブックいっぱい、絵をぎっしり描いて持ってこい」と。で、そのとおりにしたら、子どもの本の出版社をいくつか紹介してくれたの。それで絵の仕事が来るようになりました。でも、福音館書店とは縁がなくてね。私は当時、絵本の勉強のためにと「こどものとも」を定期購読していたこともあって、いつか福音館で絵本の仕事ができたらいいなあ、と思っていたの。そこで、まずは「母の友」って雑誌があるみたいだから、そこに童話を投稿してみようと思ったわけ。

――童話は前から書いていたのですか?
書き始めたのがちょうどこの頃でした。フリーランスの絵描きになったばかりの頃に、たまたま堀尾青史さん*2という方と出会って、堀尾さんが主宰する同人誌に参加することになったんです。堀尾さんは宮沢賢治の研究もしていたから、私も一緒に岩手に行って賢治ゆかりの地を訪ねたりしました。賢治は岩手の豊かな自然を背景に物語を作っていった。私にも武蔵野という背景があるから、もしかしたら、なにか書けるかもしれない、と思うようになって。

アトリエにはフクロウの絵がアトリエにはフクロウの絵が

――武蔵野という背景とは?
私は東京の町中で生まれたんだけど、体が弱くてね。6歳のとき小児結核にかかって、転地療養のため、練馬区のはずれに一家で引っ越すことになったんです。当時はまさに武蔵野という名前のとおり、野原が広がる、いいところでした。あちこちで湧き水も湧いていて、自然が本当に豊かだった。私もすっかり健康になって、真っ黒になるまで外で遊ぶようになりましたね。男まさりの私を父は「わきのすけ」と呼んでいたくらい。家の近所には植物学者の牧野富太郎さん*3も住んでいらしてね。小さい頃、犬をプレゼントしにお宅を訪ねていったこともある。真っ白い髪で、子ども心に「仙人」って本当にいるんだ、と思いましたね。近所には大きな映画の撮影所もあって、見物にいったこともありますよ。ある日スタッフの人に、きみ、この子とボールで遊んでみて、と言われて、子どもの役者さんと一緒に球投げをしたんだけど、その人が、たしか美空ひばりさん……。

――す、すごい思い出ですね……
うん、今思い出しても、子ども時代は光輝いていますね。でも10歳のときに父が結核で死んでしまって……そこからはなんだかくすんだ印象ね……。えっと、何の話でしたっけ? そうそう、とにかく、自分の子どもの頃の記憶をほりおこしながら、物語を書いたりし始めたわけです。で、「母の友」に投稿した、と。採用の連絡はなかったんだけれど、同じ頃、挿絵画家の友人が私を福音館に連れていってくれることになったの。紹介してあげる、って言ってね。そのとき会ってくれたのが、「母の友」の編集長だった水口健さん。たぶん、「わきこ」って名前が珍しかったからじゃない? 「あなた投稿したでしょう」と覚えてくれていて。「おもしろい話だから、載せようと思っていたんですよ」って。うれしかったな。ただし、絵は別の方にお願いしたいと思っていると言われました。次は絵も自分で描きたいと思って、今度は原稿と絵をセットで送ったんだけど、なかなか採用してもらえないの。他の人の絵本も研究して、似せたようなものを送ったこともあるんだけど……そのときは怒られましたね。「誰かのマネをしちゃいけません。あなたにはあなたの言葉があるんだから」って。水口さんからは「自分の言葉で書くことの大切さ」を教えてもらったように思います。水口さん、原稿には厳しかったけど、普段はからっとした、冗談ばかり言っている楽しい人でね。原稿が良かったときには「いいねえ!」と満面の笑顔で言ってくれる。その言葉が聞きたくて、繰り返し投稿していました。『せんたくかあちゃん』もその中のひとつでしたね。

自宅にあった「ひろった石」のコレクション自宅にあった「ひろった石」のコレクション

――このお話を思いついたのは?
うーん、実はでございますね、この頃、私、離婚というものを体験いたしまして(笑)。女性は1人で生きていく力を持たなくちゃ、たくましくなくちゃ、と非常に強く思っていた時期でした。そして、たくましい女性、といったとき、自分の母の姿が思い浮かんだのです。
父が亡くなった後、わたしたち姉妹を女手ひとつで育ててくれて。当時は女性が働くことは、決して当たり前じゃなかったから、本当にたいへんだったと思います。気の強い人で、私たち子どもにもよく怒ってね。姉と2人で「おにばばあ!」なんて言い返したりして……よくない子どもでした。でも、私たちの跳ねっ返りにも、決してくじけない強さが母にはあったの。今から思えば、だからこそ、私たちもそんなことを言えたのかもしれません。子どもって案外、相手のことをよく見てますよね。「厳しいことを言ったら、この人、壊れちゃいそうだな」ってタイプの人には、文句を言ったりしないじゃない。そんなことを考えているうちに、絶対くじけない、たくましい女の人が出てくるお話はどうかな、と母をモデルにした物語を書いてみたんです。

*1 てらむらてるお 1928~2006。児童文学作家。『ぼくは王さま』をはじめとする王さまシリーズで知られる。
*2 ほりおせいし 1914~91。紙芝居作家、児童文学作家。宮沢賢治の伝記研究でも知られる。
*3 まきのとみたろう 1862〜1957。植物学者。『植物記』(ちくま学芸文庫)など著書多数。

2……インタビューの続きは「母の友」8月号に掲載しています。あわせてお楽しみください。

さとうわきこ
1937年東京都生まれ。長野県在住。岡谷市で「小さな絵本美術館」を主宰。紹介した以外にも『おつかい』『るすばん』、また『いそがしいよる』『あめふり』といった「ばばばあちゃん」シリーズなど多数の作品がある(全て福音館書店刊)。

写真・浅田政志