母の友タイアップ「こどものとも」の礎を築いた作家たち

筒井頼子さんと『はじめてのおつかい』

0525.IN01『はじめてのおつかい』は1976年に「こどものとも」の一冊として刊行されました。ひとりで行くおつかいは子どもにとって大冒険。画家、林明子さんが描いた主人公みいちゃんの表情も印象的です。子どもの心の動きを鮮やかに描いた作品は好評を博し、翌年すぐに単行本化されました。
『はじめてのおつかい』は作者、筒井頼子さんのはじめての絵本です。またこの頃の筒井さんは専業主婦、小さなお子さんを育てながらの執筆でした。この物語が誕生する背景にあった思いとは? 現在、仙台に暮らす筒井さんを訪ねました。

――筒井さんが、絵本の文章を書こうと思い立ったきっかけのようなものはあったのでしょうか?
筒井さん はい、それが実は「こどものとも」なのです。一番上の娘が生まれて、ある程度大きくなったとき、彼女の言葉の世界を広げてやりたい、と考えました。しかし、当時の私は絵本や児童書の世界にうとくて、どんな本を読んでやればよいのかわかりませんでした。当時は東京で暮らしていたのですが、あるとき、本屋さんに行って「子どもの本を探しているのですけど」と尋ねましたら「あのあたりの棚をご覧なさい」と教えてくださった。その棚の片隅に並んでいたのが「こどものとも」の単行本でした。私は、その中の一冊を、タイトルの言葉の響きに惹かれて抜いてみました。『ぐりとぐら』という絵本でした。開いてみると、「あ、これは私だ」と思ったのです。

――『ぐりとぐら』は2ひきの野ねずみが、カステラを作る絵本ですね。どのあたりに自分を重ねられたのでしょう?
私は1945年に東京で生まれました。家族はその直後に、空襲を逃れるため、秋田県の山の上の小さな村に引っ越しました。終戦後もしばらくそこで暮らしていて、小学2年生のとき、再び首都圏、埼玉に引っ越すことになり、林の中の一軒家で暮らすことになりました。越したばかりで友達もいませんし、私は、いつも一人で林の中で遊んでいました。そして、その林に空想の動物たちを住まわせていたのです。『ぐりとぐら』を読んだとき、あ、これは私がかつて想像の中で遊んだ世界とすごく重なる、と感じたのです。購入し、家で娘に読んでみると、さらに驚くことが起こりました。

――いったいなにが起きたのですか?
娘は瞬く間に『ぐりとぐら』の世界に夢中になり、それから毎日毎日、「読んで」とせがむようになりました。ある日、娘が開いた本の上に乗っている姿を見つけました。本の上に乗るなんてとんでもないことです。しからなくてはと思い近づきました。すると、その本は『ぐりとぐら』、開いていたページは、みんなでカステラを食べる場面でした。娘の陶然とした表情を見て、すぐにわかりました。ああ、今、この子は、つま先から頭のてっぺんまで、体全部、まるごと絵本の世界に入りこんで、動物たちと一緒にカステラを食べている、と。きっと娘も「この絵本の中に自分がいる」と感じていたのだろうと思います。こんなに子どもをひきつけてやまない世界を絵本で表現していらっしゃる方がいる。実は、私もかつて、読んだ人に「自分がここにいる」と思ってもらえるような物語を作りたいと思ったことがありました。それを書くのは、今だ、と思ったのです。

1――かつて物語を書いてみたいと思ったのは、いつ頃だったのでしょう?
小学校高学年の頃です。私はやはり、ひとりでいるのが好きで、読書クラブに入っていました。あるとき、姉から借りて、ジョルジュ・サンドの小説『愛の妖精』を読んだのです。

――19世紀フランスの作家ですね。『愛の妖精』は、皆から敬遠されている少女ファデットと美しい双子の兄弟の恋物語。
そうです。その本を読んだときに「これは、私だ!」と思ったんです。主人公ファデットの言葉が、まるで自分の言葉のように感じられる、私がまわりの人に向かって、こういうふうに言えたらいいなあ、と夢見ていることを彼女が代弁してくれる。そのことの喜び。胸のすくような感じ。ああ、いつか私もだれかにそんな体験をしてもらえるような物語が書けたら、と思ったのです。

2――その後、物語を書こうとは思わなかったのですか?
思っていました。中学、高校も文芸部に入って、小説のまねごとのようなものを書いたりはしていたのです。本当は、大学で文学の勉強をしたかった。でも、家の経済的事情で大学には行けないことがわかっていました。高校を出るとすぐに働き始め、それからは仕事が忙しくて、物語を書く時間はとれませんでした。

――どんなお仕事だったのでしょう?
最初は商事会社の事務員をしていました。でも……1年働いた頃、どうしても言葉の仕事がしたくて、やめました。そして当時、1960年代の前半でしたが、まだ珍しかったコピーライターを目指そうと、養成学校に入りました。広告業界のことは何も知りませんでしたが、とにかく文章を売る仕事らしい、と聞いて。その学校を出て、社員が3人の小さな広告会社で働きはじめました。銀行が一般客に送るダイレクトメールなどを書いていましたが、難しかったですね。20歳そこそこの女の子が「1円でも有利な貯蓄を!」なんて書くわけですから。
ただ、本当にありがたい経験をさせてもらいました。このとき私は「広告の文章の仕事とは、自分の書きたいことを書くことではないのだ」と、叩き込まれました。「読んだ相手にわかってもらえないなら意味がない」。ダイレクトメールはゴミ箱にいれられる定めです。その前に1秒でも目をとめていただくためにはどうしたらいいのか。そのためには、歯切れがよい、わかりやすい言葉で、相手の心に訴えかけることが大切だと、常に言われ続けました。それを実践できたかはわかりませんけれど、この経験は、子どもの本を書くときにも役立っているかもしれません。

――コピーライターの仕事はいつごろまで続けられたのでしょうか。
10年ほど続けたと思います。その間に結婚をして、第2子を授かったときに、会社を辞しました。

――そして『ぐりとぐら』をお読みになって、ご自分でお書きになったのが、『はじめてのおつかい』だった。
そうです。あのお話は実話が元になっています。長女は少し引っ込み思案の女の子でした。この子に、自分ひとりでなにかを成し遂げたという達成感を味あわせてやりたい、きっとそれが自信につながるはずだと、ある日、牛乳を買ってきてくれる? とおつかいを頼んだのです。
でも、絵本と違って、実際の私はすぐに長女の後を追いかけました。大人の感覚でいうとすぐ近所のお店なのですが、心配で心配でたまらなくなってしまって。
長女は後ろをふりかえらず、私に気づくこともなく、どんどん歩いていきました。そしてお店にたどりついたのですが、「ぎゅうにゅう くださあい」とは言えなくて、もじもじしています。その姿をハラハラしながら見ていたのですが、ああ、私が泣いてしまいそう、とついに我慢できなくなり、「あら? お店のおばさん、いないの?」なんて言いながら出ていってしまったのです。ですから、現実の出来事としての「はじめてのおつかい」は実に中途半端なものでした。でもこの出来事は私の心に残り、この「物語」をいつか完成させたいと思っていました。そして架空のエピソードを混ぜて、あのお話のもとになるものを書き上げたのです。

4……インタビューの続きは「母の友」7月号に掲載しています。あわせてお楽しみください。

つついよりこ
1945年東京都生まれ。紹介した以外の作品に、絵本『ながれぼしをひろいに』(絵・片山健、品切れ中)、童話『こいぬをひろいに』『そうちゃんはおこってるんだもん』(絵・渡辺洋二、共に福音館書店刊)などがある。

写真・浅田政志