母の友タイアップ「こどものとも」の礎を築いた作家たち

なかのひろたかさんと『ぞうくんのさんぽ』

0515.IN01

『ぞうくんのさんぽ』は「こどものとも」の1968年6月号として刊行されました。作者は、なかのひろたかさん。シンプルかつ魅力的な物語が子どもの心をしっかりとつかむ作品です。その後単行本化され、現在も版を重ね、ヨーロッパやアジアなど国外でも翻訳されています。
2004年には続編『ぞうくんのあめふりさんぽ』が登場、さらに『ぞうくんのおおかぜさんぽ』『かめくんのさんぽ』(「こどものとも年中向き」2016年5月号)といったシリーズ作品も生まれ、「ぞうくん」の世界は広がり続けています。今年の2月には、絵の見える人と見えない人が一緒に楽しめるようにと点字つき絵本にもなりました。
なかのさんに『ぞうくんのさんぽ』が生まれた頃のお話をうかがいました。

IMGP8184――なかのさんの最初の作品『ちょうちんあんこう』(「こどものとも」66年9月号)の2年後に『ぞうくんのさんぽ』が生まれます。当時、なかのさんは26歳、若き絵本作家として順調な……。
なかのさん いやいや、全く順調ではなかったですよ。むしろ、その反対で不安だらけの日々でした。絵本作家になる前に会社をやめてしまっていたし、人生これからどうなっちゃうのかな、と……。

――会社をやめた理由は……。
少し話がさかのぼるのだけど、デザイン学校に通っていた頃に朝倉摂さん(舞台美術家・画家)の授業をとっていたんです。その課題で「絵本を1冊作る」というのがあってね。出してみたら「きみのが一番よかった」とおほめの言葉をいただき「もし絵本をやる気があるなら、出版社を紹介するよ」と言われたんです。その出版社が福音館でした。

――朝倉さんは「こどものとも」創刊の年から絵本を手がけています(『てんぐのかくれみの』56年9月号)。
でも、その時点でぼくはアニメーションスタジオに就職が決まっていたんです。朝倉先生には「紹介、お願いします」と頭を下げたのですが、まだ本気で絵本作家を目指す気持ちはなかったんでしょう。そのアニメーションスタジオで働き始めました。でも、だんだん他人の絵じゃなくて、自分自身の絵が描きたくなってきて……それでまあ、1年くらい勤めて、後先考えずに退職してしまったわけです。

IMGP8202なかのさん宅の猫

――そして、絵本の道へ。
そう、朝倉さんの一言を思い出したんですよ。そうだ、出版社、紹介してもらおう。とはいえ「朝倉先生から紹介されまして」と若造が作品も持たずに行ったんじゃ、どうしようもないと思って、よし、1冊絵本を作っていこうと考えたわけです。そこでまずは、どんな絵本を出している会社か研究するために、退職金を全部使いこんで「こどものとも」のバックナンバーを買えるだけ買いました。

――印象的な作品はありましたか?
当時の作品でよく覚えているのは『おおきなかぶ』62年5月号、ロシア民話、内田莉莎子訳、佐藤忠良画)や『かわ』(62年7月号、加古里子作)ですね。それから「こどものとも」じゃないけど『てぶくろ』(ウクライナ民話、内田莉莎子訳、ラチョフ絵)。そうか、これが絵本か、と。子どもが納得できる順を追った展開が大事なんだな、と思いました。それで自分なりに考えて作ったのが『ちょうちんあんこう』という話です。

『ちょうちんあんこう』

――深い海の底にいるちょうちんあんこうが月に会いたいと思って上にのぼっていくお話ですね。
そう。それで住所のとおりに福音館を訪ねていったら「えっ、ここ?」と思ったことを覚えてますよ。住宅地の真ん中にある普通の民家でした。それでも勇気凜々、おっかなびっくり、玄関の戸を開けたら、出てきたのは大きな犬。つまりぼくが福音館で最初に会ったのは人間じゃなくて犬だったわけ(笑)。

――その住宅地とは東京、杉並区ですね。その頃(196465年)、ちょうど新しい社屋を建てている時期で、当時の社長の自宅で仮営業をしていたらしいです。
その日、松居さん(当時の「こどものとも」編集長、松居直)は不在で、作品を置いて帰ってきました。そしたら夜、電話がかかってきてね、「うちから出します」って。あのときはうれしかったなあ。でも後日、松居さんにお会いしたとき、ショックなことも言われました。「これから絵本でやっていくつもりですか?」と聞かれたので「はい」と答えたら「そうですか、でも、絵本で食べている人はまだいません。たいへんですよ」って。当時まだまだ絵本の売り上げは厳しい状況にあったんです。でも、こっちは仕事を辞めているし……まいったなあ、と。

――最初の作品から2年後に『ぞうくんのさんぽ』が誕生しますが……。
ぼくにとっては本当に本当に長い2年間でした。勤めていないから定期収入もありませんし……。そんなある日、友人が当時流行っていた早口言葉のギャグ「親亀の背中に子亀をのせてを口ずさんだんです。それを聞いて、ぱっと、ひらめいたのが『ぞうくんのさんぽ』でした。

コントグループ「ナンセンストリオ」の「親亀の唄」。「親亀の背中に子亀をのせて、子亀のせなかに孫亀をのせて、親亀転んだらみな転んだ」。

IMGP8086……インタビューの続きは「母の友」5月号に掲載しています。あわせてお楽しみください。

なかのひろたか
1942年青森県生まれ。石川県育ち。東京、桑沢デザイン研究所リビングデザイン科卒。アニメーションスタジオに就職し、柳原良平が描いたアンクルトリスのCMなどを手がける。絵本作家としてデビューした後、一時デザイン会社に勤務、堀内誠一と共に働く。絵本『およぐ』『3じのおちゃにきてください』(こだまともこ文)『ゆうちゃんとめんどくさいサイ』(西内ミナミ作)『なきむしおばけ』(以上小社刊)など作品多数。東京都在住。

写真(人と猫)・浅田政志